とこしえの愛欲（第一話）

土曜の静かな午後の昼下がり。私は、いつものように昼食の準備をして彼女 の帰りを待っている。土曜日は学校が午前中で終わるから、お弁当を持ってい くこともないからだ。もっとも私からすれば、冷めたお弁当よりこうして出来 たての暖かい食事を食べて貰う方が嬉しい。だから、いつも土曜日は心弾む思 いを抱きながら食事を作っているのだ。 　ふと時計を見てみる。授業が長引いていたり、途中で道草をしたりしなけれ ばそろそろ彼女が帰ってくる時間だ。あの、元気な大きい声がまもなく家の中 に響く。 「ただいま〜」 　ほら、思った通りだ。私は食事を作る手を休め、廊下の先に視線を送って彼 女が現れるのを待つ。すると、すぐに制服に身を包んだ美夕が姿を見せた。そ の瞬間、部屋の中がぱっと華やぐような雰囲気に包み込まれる。それが、私の 心の高揚であることは、私自身も判っていた。 「あ〜あ、お腹減った〜。ラヴァ、ごはん、ごはん〜」 「はい、まもなく出来上がりますから、着替えてきてください」 　ところが、そんな私の言葉を無視するように美夕は自分の椅子に腰をかけた。 「ほら、美夕。着替えてきてください」 　出来上がったおかずをテーブルに置きながら、たしなめるようにそう言った が、美夕はまるで言うことを聞かなかった。 「美夕。ほら、早く」 「だって〜、面倒くさいもん。いいじゃん、このままで。あとで着替えるから さ〜」 「いけません。お行儀悪いですよ、美夕」 「ぶーーーー」 　美夕は頬を膨らませて、てこでも動かないような素振りを見せた。 「ほら、美夕」 　もう一度だけ促してみる。すると、しぶしぶといった感じで椅子から立ち上 がった。 「いいじゃない、着替えくらい」 　ぶつぶつと不満を呟きながら自分の部屋へ行くのを見届けると、私はごはん をお茶碗に盛ってテーブルの上に置くと、エプロンを外して自分の椅子に座っ た。そして、数分ほど待つと普段着に着替えた美夕が戻ってきて私の前に座る。 「いただきます」 「どうぞ」 　私がそう言うと、美夕は待ってましたとばかりにお茶碗を手に取り、食事を 始めた。その様子を見ながら、私も食事を始める。 　私の作った食事が、おかずの一つ一つが美夕の扱う箸で捕まれ、落ちないよ うにそっと口に運び、それをきちんと噛みしめて食べてくれる。おかずを箸で 取る動作。口が開かれた時に見える白い歯。食事によって血色の良くなる赤い 唇。そして、食事が進むにつれ血色のよくなってくる美夕の白い頬。そのどれ をとっても、私には愛おしく見えた。 「ラヴァ？」 　ふいに、美夕が怪訝な表情で私を呼んだ。 「どうしました？」 「食べないの？」 「あ……いいえ、頂きますよ」 　いけない。つい見とれてしまったようだ。私は、再び自分の食事を始める。 でも、出来れば美夕が食事をする様子をずっと見ていたかった。 　私の美夕。私の愛しい美夕。私の、私だけの幼い恋人。私が、私だけが、彼 女の身の回りの世話をすることが許された存在であり、私だけが彼女の髪に、 彼女の頬に、彼女の細く白い肌に触れることを許されるのだ。そして、そのこ とをその身に感じながら私も食事を続けた。むろん、彼女の様子に目を配りな がら。

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食事を終え、使った食器を洗い終わったあとに座敷へ行くと、美夕が、我が 愛しき恋人が足を投げ出し、うつぶせになって寝そべりながら漫画本を読んで いた。 「美夕。食べた後横になるのは、よくありませんよ。それにそのような姿、少 しはしたないです」 　ところが、美夕は私を一瞥しただけで返事もしなかった。 「美夕」 　返事がない。でも、ここから見える美夕の横顔から察するに、どうやら私の 様子をうかがっているようだった。こういう時の美夕の行動は、正直言って判 りやすい。おそらく、いや間違いなく、もう一押しすれば感情を爆発させるこ とだろう。一度機嫌を損ねると、そのフォローが大変かもしれないが、この行 儀の悪さを指摘して直すのも私の役目である以上、それは甘んじて受けない試 練だった。 「美夕」 「うるっさいな〜！」 　ほら。予想通り、怒られた。 「もう、ラヴァって一々うるさ〜い！」 　美夕は寝そべっていた体を半身だけ起こすようにして、私を怒鳴りつけてく る。 「しかし、美夕。そのような姿は、本当にはしたないですから」 「いいじゃない別に！」 「美夕。ですから――」 「あ〜、もう、うるさいったらうるさ〜い！」 　どうやら、すっかりへそを曲げたようなので、仕方なく私は美夕の顔をじっ と見つめた。 「何よ」 　私の無言の訴え。こうすると、美夕はたいがい言うことを聞いてくれる。そ れは私が、長い間美夕と生活を共にし、身につけた唯一の対抗方法だった。も っとも、最近はこの方法でも美夕はちっとも言うことを聞いてくれないのだが。 「そんな目で見たって、やめないからね！」 　美夕はそう言うと、再び寝そべって漫画を読み始めた。しかも、スカートを 履いてるというのに、両足をぱたぱたと上げたり下ろしたりするので見る方向 によっては下着が見えてしまう。だから、はしたないと言うのに。 　しかし、そう思いながらも、私の視線は自然に美夕の太股へと向いてしまう。 足が上下するたびに、ちらちらと見える美夕の太股。太すぎず、細すぎず、無 駄な肉のないすっきりした足。すっと延ばす瞬間にやや斜めに現れる太股の筋 肉の筋。それらは均整の取れた体を持った者が持つ、独特の美しさだ。 「あっ、時間」 　ふいに、美夕が時計を見て呟くと、立ち上がって部屋を出ていった。どうし たのだろうと思い廊下の先を見ると、上着を羽織った美夕が肩にリュックを下 げているのが見えた。 「お出かけですか？」 　ところが、美夕は私を無視するように何も答えず玄関に行ってしまった。 「あまり、遅くならないようにしてください」 　慌てて玄関に送りに行った私は、靴を履いている美夕にそれだけを伝えた。 もっとも美夕は、さっきのこともあってか私に視線すら合わせようとせず、そ のまま玄関のドアを勢いよく閉めて出ていってしまった。

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美夕。私の美夕。私の愛しい恋人。そして、私だけが愛でることの出来る、 美しい花。時に子供がお菓子をねだるように甘え、時に猛獣のように牙をむき、 時にどのような美女よりも美しく、時にどのような堕落した人よりもだらしな い彼女。 　そして、そんな彼女の側で、愛情を注ぎつつけなければいけない私。それは 試練かもしれない。だけど、私には苦痛一つ感じられなかった。 　ただ、もし、苦痛というものがあるのだとすれば、それは美夕が私の側にい ないことだ。 　先ほど、外に出ていった美夕。おそらく、友達と遊びに行ったのであろうこ とは容易に想像がつく。でも、姿が見えないというだけで、私の心には大きな 不安がつきまとうこととなる。 　美夕が出かけてから、すでに二時間程経っていた。一人で過ごす家はとても 広く感じるし、何よりも美夕がいないことで私の心には躍動感が感じられない。 つまり、それは寂しいということだった。 　その寂しさは、美夕を怒らせてしまったことにも起因しているのかもしれな い。ひょっとしたらもう、この家に戻ってこないかもという、妙な不安さえも 覚えてしまう。こういう思いが生まれてしまうと、私はいてもたってもいられ なくなってしまう。 　洗濯物を早々に取り込むと、畳むこともせず美夕の姿を求めて家を出た。で も、すぐには居場所を突き止めることは出来ない。いくら私でも、美夕の気配 を見つけることは困難なのだ。それでも、私は美夕を探し求める。私にとって、 美夕は私の魂そのものなのだから。 　ああ、美夕。私の美夕。私をこのようにしてしまった愛しき者。我が命であ り、永遠の恋人。あなたは今、何処にいるのですか？　姿を見せてください。 苦しんでいませんか？　悲しんでいませんか？　もしそうであれば、私がすぐ に参ります。待っていてください。そして、いつものように叱ってください。 ラヴァ遅い、と。

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日が暮れて辺りが闇に包まれる頃、玄関の戸が開く音が聞こえた。そのあと に、脱ぎ落とされた靴の音や廊下を歩く足音も聞こえる。その足音を聞いて、 私の心は安堵の思いで包み込まれる。そう、美夕が帰ってきたのだ。 「ただいま」 「お帰りなさい。もうすぐ出来ますので、手を洗ってきてください」 　昼間のことをまだ根に持ってるのか、美夕は笑顔一つ見せず洗面所へと消え た。でも、私の言うことを聞いてくれるので、怒りはさほど大きくないのかも しれない。そんなことを思いながら、出来上がったおかずをテーブルの上に並 べていった。 　そして、ちょうどご飯をお茶碗に盛った時、美夕が戻ってきて自分の椅子に 座った。 「ごはん」 「はい、どうぞ。今日は美夕の好きな物を作りましたよ」 　箸を渡しながら笑顔でそう告げると、憮然とした表情を浮かべながらも美夕 は箸を受け取って食事を始める。 「今日来たでしょ？」 「はい？」 　一切口を開かず、もくもくと食事を摂っていた美夕が急に箸を止め、私を睨 み付けるようにしてそう言った。 「何がですか？」 「だから今日、遊んでる所、見に来たでしょ？」 　来た、と思った。何故なら、今日私は美夕の姿を求めて街中をさまよい歩き、 公園で友達と遊んでいる美夕を見つけたからだった。 「どうしてそれを……」 　すると、美夕はため息をついて、しょうがないなぁというような表情を浮か べた。 「あのね、ラヴァみたいに背の大きい男の人が影でこそこそしてても、ばれば れなの。しかも外人さんだし、ばっかみたい」 「そうでしたか。申し訳ありません」 　私がそう言うと、美夕は優越感に浸るような表情を浮かべて「ふん」と鼻で 笑うと、再び箸を動かし始めた。でも、その様子は、先ほどまでとは違って何 処か柔らかく感じた。どうやら、私の恥ずかしい姿は見られていなかったよう なので、少し安心する。 　本当のことを言うと、私は美夕に見つかるようにわざと行動した。美夕のこ とが心配であるというのは事実だが、それを表面にだして動けば、美夕はます ます機嫌を悪くするだろう。だから、わざと見つかるように動き、私を「仕方 のない奴」と思って叱るようにし向ける。そうすることにより、美夕は優越感 を感じて機嫌を直すだろうと思ったからだ。 　もっとも、美夕を公園で見つけた時は、そのようなことさえも考えられない 状況だった。あちこち走り回ったために、髪はぼさぼさ、目は血走り、足もふ らふらで、とても普段の私の姿とはかけ離れていただろう。だから美夕を見つ けたとき、呼吸を整え、身支度も整え、遠目に見ても私だと美夕が判るように したのだ。 「もう、あんなことはやめてよね。おちおち、外で遊ぶことも出来ないじゃな い」 「はい、判りました」 「判りました判りましたって、もう何度目よ。私が遊んでるのを邪魔するのは。 ラヴァって返事は達者だけど、全然学習能力無いじゃない」 　口調は少々強めだが、雰囲気からして、これはいつも通りの美夕であること を私は感じ取っていた。 「申し訳ありません」 　私がもう一度誤ると、美夕はまたため息をついた。 「もういいわ」 「はい」 　とりあえず、昼間のことはこれで一件落着といったところだろうか。私は安 堵の息を付き、心の中でほくそ笑むと、我が愛する妖精の姿を見つめながら食 事を続けた。

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夜。私がお風呂を上がると、私よりも一足先にお風呂を使った美夕が座敷で 一人、濡れた長い髪にタオルを巻き付けながら宿題をしていた。私は冷蔵庫か ら冷たい飲み物を出し、コップについで美夕の所へと持っていく。 「ありがと」 　宿題をする手を止めてそう言うと、美夕はコップを手にとって軽く口を付け た。その際に濡れた髪の毛から落ちる雫が、美夕の着ている寝間着の肩のあた りに降り注ぎ、小さくはじけるのが見えた。 　私が自分の持っていたタオルで美夕の耳の辺りからしたたり落ちる雫を拭う とすると、美夕は素直に顔を少しだけ傾げた。その時、美夕の白い首筋が露わ になり、私の心に大きな衝撃を与えた。 　白く輝くような首筋には何一つ汚れが無く、やや茶色がかった髪の生え際と、 その周辺に薄く生えている産毛が私の心を揺さぶった。 「ラヴァ？」 「あ、はい？」 「どうしたの？」 　いけない。また、見とれてしまった。だが、見とれるほど美しいのは確かで、 気が付くと私はそのまま美夕の首筋に唇をつけていた。 「ラヴァ、駄目よ」 　その言葉に我に返った私は、首筋から唇を離す。すると、美夕が困った顔を して私を見ていた。 「申し訳ありません」 　素直にそう答えると、美夕は何事もなかったかのように宿題を続ける。私は その様子を側でずっと見守っていた。 「さあて、終〜わった。おまたせ、ラヴァ」 　しばらくして宿題を終えたのか、美夕が背伸びをしながらそう言った。そし て、のそのそと畳の上を這ってきて私に抱きつく。その時、髪の毛に巻き付け てあったタオルがはらりと落ち、まだ濡れている美夕の長い髪が私の腕にから みついた。 「どうする？」 　耳元に美夕のささやきが聞こえた。だが、私は既にその問いに答えられる思 考を失っていた。こうして私の腕の中にいるだけでも満足なのに、女性特有と もいえる、湯上がり独特の湿った香りが加味されているのだから。まるで痺れ るような快感が、私の心を満たしている。このまま情死したとしても、私には 悔いがないとそう思っていた。しかし、だからといってこのままでは美夕がま た変に思ってしまう。 「どう……したら、よろしいでしょうか？」 　何とか、本当に何とか必死になって言葉を紡ぎだし、美夕がまた不安にから れないようにした。 「じゃあ、とりあえず……寝よう」 「はい」 「このまま抱き上げて、連れてって」 　この後、私は大切な幼い恋人を壊さないように、そして怯えさせないように、 細心の注意を払って寝室へと運んでいった。 　そして、いつものように二人で枕を並べて横になり、お互いの温もりを肌に 感じながら目を閉じる。 「ラヴァ、大好き」 　その言葉と共に、唇に温もりを感じたとき、私は美夕の体を強く抱きしめて いた。絶対に、誰にも渡さない。誰にも汚させないという思いと共に。

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愛情を行動で表現する場合、様々な方法がある。もっとも代表的なのが、男 と女の営みだろう。お互いの全てを分かち合い、相手の全てを味わい尽くし、 それと同時に得られる快感は、この世で比べるものがないとまで言われる。だ けど、私はそれ以上の愛情表現があることを自負していた。 　それは、こうして胸に抱きしめること。美夕は私の大切な恋人。私の魂。人 が求める愛の営みとやらで汚すことなど、どうしてできよう。私は美夕を、愛 しい美夕を大切に守ることが愛情なのだ。 「ラヴァ」 　明け方、私の寝室にあるベッドの中で、美夕がそう呟いたのが聞こえた。 「美夕。起きていたのですか？」 「うん。何だか、目が覚めちゃったの」 　そう言うと、美夕はごそごそと探るように私の首に腕を回して抱きついてき た。私は昨晩の興奮から中々眠ることが出来ず、先ほどようやく眠ったものの、 再びこうして目が覚めてしまったのだ。 「ねえ、ラヴァ。この街は、いつまでいるの？」 「いつまでと言いますと？」 「だって、いい加減に飽きたんだもん。この街も、あの学校も」 　また、きまぐれが始まった。学校に通いたいと言い出したのは、美夕の方な のに。 「美夕。しかし、美夕はまだ十三歳ですし、学校へは義務教育が……」 「だって、その前まではずっと旅してたじゃない」 　そう。美夕の言うとおり、私達はこの街に来る数ヶ月前まで帰る家をもたな い流浪生活を続けていた。自由気ままに、思うがままに街から街へと流れてい く。もっとも、殆どが美夕の思ったままにだったが。 「また、あの生活に戻るのですか？」 　私は別に構わなかった。何処へ行くにしても、私は美夕と共にあるのだから。 「ん〜とね、出来れば南の方がいいかなぁ。もっと暖かいところ」 「では、いつ出発しますか？」 「そうね。今からっていうのはどうかな？」 「それはまた、随分と急ですね。宿題が、無駄になってしまいますよ。それに、 お友達とお別れもしなければいけないのでは？」 「いいよ。別に、そんなの」 「そうですか。では、一応準備とかもありますから、今日の午後くらいになり ますね」 「うん、判った」 　そう答えると美夕は私の胸に顔を埋めて目を閉じ、しばらくすると軽い寝息 を立てはじめたので、私も軽く眠ろうと思い目を閉じた。美夕の温もりを、体 中で感じながら。

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「じゃあ、行こうラヴァ」 　満面の笑顔を浮かべて、美夕が私の腕を引っ張る。 「ちょっと待ってください」 　必要最低限の荷物を入れた鞄を手に取ると、私は美夕に引かれるまま歩き出 した。 「何処へ行きましょうか？」 　私がそう問いかける。すると美夕は、考えるような素振りを見せた。 「とりあえず、電車に乗ろう」 　美夕の気まぐれ。今回は電車の旅のようだ。バス、船、車と手段は毎回違う。 「じゃあ、行きましょう美夕」 「うん」 　この街にいた美夕の存在は、私の力で全て無かったことした。私達は、こう して再び旅を始めるのだ。例えこの先に、何が待ち受けようとも、私は美夕を 離さない。 　美夕。私の幼い恋人。私の魂。私の愛しき花。いくら愛でても足りぬくらい、 私の心に安心と不安をもたらす。 　でも、だからこそ私は美夕を愛する。たとえ、それが地獄へと至る道だとし ても。

あとがき