運命の出会い

それは、ある日のこと。 　普通に学校へ行って授業を受け、下校の時間を迎えた時。 　いつも通りに、仲良しの友達と一緒に校門から外に出ると、そこに彼はい た。 「……………………」 「どうしたの、真己？」 「え、あ、ううん、なんでもない」 　一瞬、我を忘れるくらい、見とれてしまった。 　多分、声をかけられなかったら、ずっとそのまま見とれていたかもしれな い。 　それくらい、私は一目で彼に惹かれた。 　そして、友達と一緒に道を歩き始めたあと、横目でちらちらと。そして、 見えなくなったら時々振り返ったりして彼の姿を追い続けていた。 　あの人は誰？ 　中高一貫校であるうちの学校の前で、明らかに部外者とおぼしき男の人が 一人。 　ううん、ひょっとしたら、学校関係者なのかもしれない。 　この学校に通っている生徒の親族とか、そういった感じの。 　だって、その後、彼の姿は一週間に何回かのペースで同じように見られる ようになったから。 　でも…… 　あの人は誰？ 　あの人は誰？ 　気になってしょうがない。 　でも、何でだろう？ 　何で私は、あの人ことを、こんなに気にしているんだろう？

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「ねぇ、真己ってば、最近あの人のことずっと見てるでしょ？」 「え！？」 　それは、彼の姿を見かけるようになってから二週間くらい経ったある日。 　下校時に彼の姿を見つけて一人、胸を高鳴らせていた私に、隣を歩いてい た友達から突然そんなことを指摘されて、口から心臓が飛び出るくらい驚い た。 「な、何言ってるのよ。私は別に……」 「そうか、そうか。男に興味の無かった真己も、ついにそういう感情が芽生 えたか」 「ち、違う……と、思う……たぶん」 「おやおや、図星か〜？」 　だんだんと尻つぼみになる私の声。 　おっしゃる通り、正直言って、図星もいいところです。 　そう、私は自分が恋しているんだってことを、すでに自覚していた。 　でも、彼が何処の誰なのかは判らないし、声をかけるなんてとてもじゃな いけど、そんな勇気はない。 　だから、こうしてたまに見かけたら……遠目で見るだけで満足するように していたんだけど…… 「しっかし、彼の何処がいいの？　そりゃ、確かにイケメンではあるけどさ」 「何処って、それは判らないけど……」 「一目惚れってやつ？」 　コクリとうなずく私。 「おやおや、やっと色恋に目覚めたと思ったら、それですか」 「もう、茶化さないでよ」 「へぇ、本気なんだ？」 「とりあえず、一応は……」 「でも、見てるだけじゃ、何もならないぞ〜」 「判ってるってば」 　そんなこと判ってる。 　でも、何かきっかけがないと話しかける勇気なんてないよ。 　それに……この二週間で判ったことが一つだけある。 　それは、あの人には恋人がいるってこと。 　私たちの一年上の先輩。 　あの人は、いつもその先輩を迎えに来るために、ここに来てるんだってこ とを。

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所詮は私の一目惚れ。勝手な思い。叶うはずのない恋だ。 　それでも彼を見かけると、不思議と胸が高鳴った。 　それは日に日に強くなっていく。 　でも、どうすることも出来ない。私はただ、こうして彼を思うことだけし か出来ない。そう思っていたそんなある日。 　掃除当番のせいで、その日はたまたま一人で下校することになり、校門を 出てしばらく歩いたときだった。 「こんにちは」 「え！？」 　ふらりと目の前に現れて、挨拶をしてきたのは、紛れも無く私の片思いの あの人だった。 「今日は一人なんだね」 「え、え！？」 　何が何だか判らない。 　そもそも、何でこの人が、ここにこうして現れて私なんかに声をかけてる の？ 「ふふ、少し驚かせちゃったみたいだね。ごめんごめん」 　大混乱の私に、彼は笑顔を浮かべてそう語りかけてくる。 　今まで、遠くで見ることしか出来なかった彼の姿が目の前に。 　そして、聞くことも出来なかった彼の声が私の耳に届いている。 　それだけで、私の思考はストップ寸前だった。 　そんな彼が私の側に歩み寄って、そっと耳元でささやく。 「僕のこと、ずっと見てたでしょ？」 　その言葉で、もう私の思考は停止。 　全身の力が抜けて、その場にヘナヘナと腰砕けになって座り込みかけたと ころ、今度は彼が私の体を抱きすくめる。 「おっと、大丈夫？」 　ぽ〜っとした頭で、彼を見つめる。 　駄目、もう何も考えられない。 　ただ、幸せで胸がいっぱい。 　その後、結局私は自分がどうなったのかも判らなかった。 　そして目が覚めた時、私は公園のベンチで横になっていた。 「目が覚めたかい」 　すぐ側には、彼の姿。 　私は、まだ夢の中にいるのだと思い、このまま夢から覚めなければいいな と思っていた。 「う〜ん、まだ駄目みたいだね」 　そう言って、彼の手が私の頭を撫でたとき、これが現実だと理解した。 「え、ええ〜！？」 　飛び起きて、今の状況を必死に理解しようとする私。 「ごめんね。今日は、君を驚かせてばかりだ」 　そう言って困った顔をする彼の表情を見て、私も次第に落ち着いてきた。 「あの、その……え〜と……」 　でも、何がどうなって、こうなったのかまるで判らず、また混乱していく 私。 「突然、声をかけて悪かったね」 「あ、いえ、そんな、とんでもないです」 　思わず、その場ででかしこまってしまい、目線も合わせられず、うつむい てしまった。 「実はさ、今日は予定がなくなっちゃってね。それで、どうしようかと思っ ていたら、いつも僕を見ている君の姿が見えたから声をかけてみたんだけど」 「は、はい」 「迷惑だったかな？」 「い、いえ、全然！」 　迷惑だなんてとんでもない。こうして側にいて、会話をしているのが夢の ようなのだから。 「ふふ、でも、やっぱり緊張してるね」 「は、はい、それは、もう……」 　緊張しないはずがないです。 　だって、ずっと話しかけることも出来なかった人が目の前で笑っているん だもん。 「それで、君はどうしていつも、僕のことを見ていたのかな？」 「え！？　そ、それは……」 　そんな。イキナリ、そんなことを聞かれても何て答えたら言いか…… 「ひょっとして、僕のことが好きだとか？」 　ドッキ〜〜〜〜〜〜〜ン！ 　心臓が口から飛び出るかと思うくらい、凄い衝撃。 「あ、あの、その……」 「あはは、図星って顔してる」 　屈託のない笑みを浮かべる彼。 　その笑顔が、また一際眩しくて、私の心拍数が跳ね上がる。 　ああ、もう、このまま卒倒しちゃいそうだよ〜。 「じゃあ、どうかな。この後、ちょっとその辺で軽く何か食べながら話でも ない？」 「あ、は、はい、よろこんで！」 　もう、何も考えずに私は返答をしていた。 「じゃあ、行こうか」 　そう言って、手を差し出してくる彼。 　その手に、私も自分の手を重ねた。 　私よりも、広くて大きい手だった。 「僕の名前は樹(いつき)。君は？」 「私は、真己。大原(おおはら)真己(まみ)です」 　そう言えば、お互い名乗ってもいなかったんだと今更ながらに思った。 「じゃあ、行こうか、真己ちゃん」 　でも、そんな思いなんか、すぐに吹き飛んで、私はそのまま樹さんに手を 引かれていった。

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その後のことは、実はあまり覚えていない。 　喫茶店でケーキセットを食べて、色々と話をしたけど、会話の内容は覚え てないし、ケーキの味すらも思い出せない始末だった。 　ずっと憧れた、彼と二人きりの夢のような時間。 　私の頭が冷静に戻ったのは、彼と判れて家に帰ったあとのことだ。 　携帯の待ち受けには、彼と一緒に撮った写真が映っている。 　今日の帰り際、記念にと撮ったものだ。 　もう、これだけで胸いっぱい。 　だけど、楽しかった夢の時間が終わって、冷静になった今、急に何処か寂 しくなってくる。 「また、今日みたいなことがあればいいな」 　そんな独り言を呟いて、私はその日、もう一度夢心地のまま、眠りについ た。 　そして、その日の出会いをきっかけに、私は樹さんと時々会うようになっ た。 　もっとも、会うといっても学校帰りの僅かな時間、一緒にお茶をする程度 だけど。 「そういえば樹さんって、恋人とかいるんじゃないですか？」 　ある日、いつものように喫茶店でお茶をしていた私は、そんな質問を投げ かけてみた。 　本当は聞くべきじゃなかったのかもしれないけど、どうしても気になった から。 　だって、もし恋人がいれば、私はただ苦しい思いをするだけになるし、そ の人にも悪いことをしていることになる。 　だから、はっきりさせておきたかった。 「う〜ん、恋人って言う感じの相手はいないなぁ〜」 　……嘘だと思った。 　だって、樹さんはうちの学校の先輩と付き合ってるはずだから。 　時々迎えに来ている姿を何度か見てるし、実際に仲良さそうにして二人で 歩いてる姿も見た。 「あ、ひょっとして、あの子のことを気にしているのかな？」 「え？」 「真己ちゃんの学校の……真己ちゃんからすれば先輩にあたるのかな？」 　そう、まさにその人だ。 　でも、そのことを隠しもせず、普通に話し出すなんてどういうことだろう？ 「そっか、そうだよな。その辺はハッキリさせておかないと、真己ちゃんも 気が気じゃないだろう」 　そのまま、ズバリ、私の心情を言い当てる樹さん。 　こういう所は、本当に女心を判っている大人って感じだ。 「あの子はね、恋人ってわけじゃないんだ。ちょっと訳有りでね」 「訳？」 「うん、ちょっとここじゃ言えないし、それに真己ちゃんは知らない方がい いかもしれないよ」 「知らない方がいい、ですか？」 「うん、だって、知ったらもう戻れなくなるから」 　戻れなくなる？ 　何が、どのように戻れなくなるんだろう？ 「あの、何を言っているか判らないんですが」 「だろうね。だって、それが判ったら、もう普通じゃいられないから」 　普通じゃいられない？ 　どういうことなんだろう？ 「あの、普通じゃいられないって、どういうことなんですか？」 　矢継ぎ早に質問を投げかける私を見て、樹さんは困った顔をした後、笑顔 を浮かべて手招きをした。 　テーブル越しに、お互い顔を近づけ、そして私の耳元で樹さんはこうささ やく。 「普通の人間としては生きていけなくなるってことだよ」 「え？」 　でも、その言葉は、やっぱり私には理解出来なかった。

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その後、樹さんは近場にある公園に私を連れて行った。いや、正確には私 が連れて行ってもらった。 　何故なら、『普通の人間として』という意味が何なのか、それを確かめた かったから。 「じゃあ、いいかな？」 「はい」 　そう言って、私はことの成り行きを見守った。 　公園と言っても、それほど広くなく、すぐ側には民家もある。 　でも、何が起こるか判らないという雰囲気は感じることが出来た。それで も、私はこれから起こることの興味の方が高かった。 　そして、それは私が返事をしてからすぐに結果として現れた。 　突然、耳鳴りがしたかと思ったら、周りの風景から僅かにだけど光が薄れ る。 　夕方だったこともあり、辺りはすでに暗くなり始めていたけど、それが一 気に暗くなった感じだ。 「これって……」 「結界さ」 　当たり前といった感じでたたずみ、私を見つめている樹さん。 　その体からは、今まで感じることのなかった、妙な気配を感じることがで きた。 「今、この場所は、世界とは完全に隔離されたのさ。この中で、何をしよう と誰も判らないし、気が付かない」 　何が起きたか判らない私に、樹さんはそう説明してくれた。 「僕はね、人間じゃないのさ」 「人間じゃ、ない？」 「そう。僕は……神魔と呼ばれる者なんだ」 「神魔」 　その言葉の意味するものが何なのか判らない。 　でも、人間じゃないというのは理解が出来た。 　だって今、私の周りに広がっている風景がそれを物語っているから。 　誰も私達に興味を示さないし、誰一人としてこちらを向くことが無い。 　たまに、こちらに向かって歩いてくる人がいるかと思ったら、直前になっ てそこに何かあるかのように別の方向へと歩いていってしまう。 「これが、知らなくてもいいこと、なんですか？」 　樹さんが、人間じゃないこと。 　こんな力が使えること。 　これらが、知らなくていいことなら、私は別にかまわなかった。 　でも…… 「この秘密を知った以上、君は選ばなければいけない」 「え？」 　今まで、笑顔を浮かべていた樹さんが、真剣な表情で私を見つめてくる。 「このまま、僕を受け入れるか。それとも、これまであったことを全て忘れ るか」 「受け入れる？　忘れる？」 「人間じゃないという僕の秘密を知ったからには、君もその代償を受けるこ とになるのさ。それが、今伝えた二つだ」 「えっと、それは、どちらかを選べってことですか」 　樹さんは無言のまま、私を見つめている。 　どちらかを選ぶこと。それが、私に今、突きつけられている条件。 「あの、聞いてもいいですか？」 「何？」 「その二つの条件は、それぞれどういうことになるんですか？」 「一つは、僕を受け入れること。僕という存在を受け入れ、そして僕を生か す為に協力すること」 「協力？」 「例えば、場合によっては命を差し出してもらうことにもなるだろう」 「命……」 　話が飛躍しすぎて、あまり現実味がなかった。 　イキナリ「命」と言われても、その重み自体、私には判らない。 「そして、もう一つは、全てを忘れることだ。僕と出会った記憶を全て消し、 僕という存在そのものを君の中から消し去る」 「それって、樹さんとのことを全て忘れるって、そういうことですか？」 「そう」 　やっぱり話が飛躍しすぎていて、理解するのが大変だ。 　でも、一つ判ることがあった。 「それなら、私は樹さんを受け入れる方を選びます」 「……………………」 　一瞬だけど、樹さんが戸惑うのが感じられた。 「随分と、すぐに返事をするんだね。今、自分が言ったことの意味、判ってい るのかい？」 「はい。だって、樹さんのことを全て忘れるなんて、そんなに嫌ですから」 「考えなしで話を進めると、後で後悔することになるよ」 「イキナリこんな状況に置かれて、考える間もなく選択しろって言う方が無茶 だと思いますけど」 　その私の言葉に、樹さんが目を丸くした。 「はは、確かにそうだね」 「それに、全てを忘れるって言いますけど、それはそれで悲しすぎます。だっ て、全て忘れたとしても、きっと心の片隅には残るはずです。樹さんのことを 思っていた自分の心というものが」 「随分と、度胸がいいんだね、真己ちゃんは」 「度胸はともかく、今の私には、それくらいしか出来ないですから」 「命を落とすことになっても構わないと？」 「好きな人のためなら、別に構いません」 　その時、樹さんが目線を逸らしてため息を付いた。同時に、周りの風景が元 に戻っていく。 「本当に、最近の人間は命ってものを軽んじてるね」 「そうですか？」 「簡単に命を差し出すとか、僕達からすれば考えられないよ」 　そう言いながら、樹さんは私の側に歩み寄る。 「本当に、後悔しないんだね？」 「はい、でも、きっと樹さんはそんなことしないだろうから」 「それは判らないよ」 「私は、信じています」 　すると、樹さんは笑みを浮かべて私の頭を撫でた。 「人間ってのは、強い生き物だ」 「そうかもしれませんね」 　実は今、私もそう思ったところだった。 　普通の人間として生きられなくなる理由。それを聞きたかっただけなのに、 今私は人生の選択さえもしてしまったんだから。 　でも、それに対する戸惑いも、後悔もなかった。 　好きな人のためなら、何でもしてあげたい。 　その思いだけが、今の私の中に存在していたから。 　多分、その思いの前では、私はどんな恐怖も乗り越えることが出来ると思う。 「真己ちゃんは、何処までその強さを見せてくれるかな？」 　私の頬をそっと撫でる樹さんの声が、妙に心に響き、その言葉を聞きながら 私は樹さんを見つめていた。

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そして、その日を境に、私の生活は一変……することはなかった。 「あれは、君を試したんだよ」 　全てが終わったあと、樹さんの口から出た最初の言葉がそれだった。 「どれくらいの覚悟があるかなって、そう思ってね」 　失礼な話だと思ったけど、むしろそれによって私は自分がどんな性分なのか を理解出来た気がする。 『好きな人のためならなんでもする』 　それが私の愛し方なんだなって。 　そして、それは樹さんと時々会う度に感じる。 「今日もそれくらいでいいんですか？」 　私の人差し指を口に含んでいた樹さんを見ながら、そう問いかけた。 「うん、だって、僕は大食いじゃないからね」 　樹さんは、人の生き血を吸うという。 　それが、自分の食事なんだと。 　でも、その量は決して多くないし、むしろ少なすぎるくらいだ。 「まるで蚊みたい」 「おいおい、その例えは酷いな」 「クスクス、じゃあ、ダニ？」 「それは、もっと酷い……いや、どっちもそんなに変わらないか」 　お互いに笑みを浮かべて、そんな他愛のない会話をする。 　実際、樹さんが吸う血の量は本当に少ない。 　それこそ蚊に食われた程度か、下手をするとそれ以下かもしれない。 　しかも、たまに会ってこの程度なのだから小食にも程があると心配になる。 　でも、人の生き血を吸うっていう時点で、樹さんが人ではないという証明み たいなものだ。 　だけど、私はそれに臆することなく、普通に接している上に自分の血を分け 与えている。 　今の樹さんは、私の血で生きているんだという思いが心を満たし、何とも言 えない満足感を得ていた。 　だからと言って、樹さんは一方的に私の血を求めるということはしなかった。 　時々、何処かに私を連れ出してくれる。 　普通の人では入ることの出来ない場所や、少し遠くて行くのが大変な場所等。 　例えば、高層ビルの屋上の更に上。 　普通の人では、そこに立つことも出来ないであろう場所だ。 　そこで見た夕日はとても綺麗で、落ちないようにと私を抱きかかえてくれる 樹さんの腕がとてもたくましかった。

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「最近、真己って綺麗になったよね」 「そう？」 　樹さんと付き合うようになって一月くらい経ったある日、学校で友達にそん なことを言われた。 「うん、それに何だか落ち着いたみたい」 「ん〜、気のせいじゃないかな？」 「そうなの？　でも、何処となく、以前の真己とは違う気がするんだけどなぁ」 「私は、変わったつもりはないけど……」 　何ていうのは、嘘だ。私は変わったと思う。それは、全部、樹さんのおかげ だ。 　こんな私の思いを受け止めてくれた樹さんが、私を変えてくれたんだ。 　私達は、人知れずほぼ毎日会っている。 　夜、人々が寝静まった頃に、樹さんが私を迎えにきて、夜の散歩をするのが 最近の日課だ。 　人の目を気にせず、二人だけの世界を私は樹さんと堪能し、そして楽しんで いた。 「毎日会うのは、真己ちゃんだけだよ」 　そう言ってくれる樹さんの言葉が、私の心を幸せで満たしてくれる。 「じゃあ、先輩とは血を吸うときだけ会うの？」 　ちょっと、意地悪をする感じでそんなことを聞いてみた。 「彼女は……そうだなぁ、彼女の気分次第だな。会っても血をくれないときも あるし」 「……………………」 　酷い女だと思った。会うだけ会って何も上げないなんて。 「樹さん、血なら私が毎日上げるから、先輩なんて放っておけばいいじゃない」 　何度か会ううちに、私はそんなことを口にしていた。 「あはは、でも、そうもいかないよ。僕も、彼女に色々としてもらっているか らね」 「……………………」 　実はこの一月で、私は樹さんと先輩の関係をそれとなく聞き出していた。 　それらを総合すると、先輩は樹さんを自分の都合の良いときに呼び出して利 用する、ようするに道具みたいな扱い方をしているみたいだった。 　あと、実際に先輩がどんな人かも調べてみた。 　成績とかそういうのはどうでもよくて、その人柄がどうなのかを。 　そうしたら、何処か高飛車で、人を見下した感のある人だってことも判った。 　何で、樹さんみたいな良い人が、そんな人の側にいなくちゃいけないのか。 最近、私は良くそう思う。 　私だったら、そんなことはしない。 　樹さんのためなら、何だってしてあげる。 　それこそ最初に忠告されたみたいに、「命」だってあげてもかまわない。な のに、先輩からは、そんな決意の欠片さえも感じられない。 （何で、先輩みたいな人を樹さんは……） 　何度、先輩と会うのを止めて、私とだけ会ってと言おうか悩んだ。 　でも、それじゃ、他の女に嫉妬している嫌な女みたいだから、言うのは我慢 していた。 　けれど、その思いは日に日に大きくなっていく。 　あんな女、いなければいいのにって。 　そして、ある日、いつものように樹さんと会って血を上げていた時、ふいに 樹さんの服についている赤い染みが目に入った。 「樹さん、その染み……」 「ん？　ああ、これは彼女の血だよ。今日はちょっと飛び跳ねちゃったみたい だね」 　不快感が私の体を駆け巡る。 　そして、その後、私を抱きしめてくれた樹さんの体から、いつもの樹さんの 匂いじゃなくて、明らかに別の女の匂いがした。 　直感で判る。この匂いは、あの先輩の匂いだってことが。 　不快感が、全身を包み込む。 　せっかく樹さんに抱きしめられているっていうのに、あの女の匂いが私を不 快にさせる。 　嫌だ、嫌だ、嫌だ！ 　この匂い、この匂いが、私を不快にさせる！ 　結局、その日は、樹さんに嫌な思いをさせてしまった。 　私がその不快感に我慢できず、樹さんを突き飛ばしてしまったからだった。

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「真己、何か悩み事でもあるの？」 　しばらくした、ある日、友達がそんなことを聞いてきた。 「何で？」 「ううん、ちょっとね」 「何よ、前は綺麗になったとか言ってたのに」 「うん、それは変わらないんだけど、何だか悩んでるみたいに見えたから」 　私ってば、思っていることが顔に出るのかな？ 　確かに最近、私は悩むことが多くなっていた。それもこれも、全部あの女の せいだ。 　樹さんとの関係は、それぞれ完全に秘密になっている。 　ううん、むしろ、私は先輩とのことを知っているけど、先輩は私のことは知 らない。 　別に、私と樹さんは恋人ってわけじゃないけど、私の樹さんへの思いは本物 だ。 　だから、先輩のことが事あるごとに気になって仕方ない。 　先輩は、樹さんのことをどう思っているのか？ 　私は樹さんが好きだから、樹さんの思うがまま、好きにさせてあげている。 　だけど、先輩はどうなんだろう？ 　樹さんが人間じゃないってことを当然知っているだろうから、そのことを利 用して、何か困らせるようなことをしているんじゃないか？ 　考えれば考えるほど、私の中に不安感が増していく。 　どうして樹さんは、あんな女と縁を持ち続けているのか？ 　正体を知っているっていうのは判る。でも、それ以外に何かあるんじゃない か。 　もっとも、樹さんに限って、そんなことはないはずだ。それは、樹さんの側 にいるようになって判る。 　樹さんは、純粋で、まるで子供みたいな心を持っているって。 　素直に、思ったことを口に出してくれて、やましいことをする思いなんてま るでない。 　初めは外見に惹かれた。でも、今はその純粋さが、私を惹きつけてやまない。 　だから、樹さんにこれ以上、汚れて欲しくない。 　あの匂いも、あの不快感も、みんなあの女のせいだ。 　あの女の血が、樹さんの中に入って、いつか樹さんを変えてしまうかもしれ ない。 　そんなの絶対に許せない。 　許せない、許せない、許せない、許せない、許せない、許せない、許せない。 　これ以上、樹さんを汚すような真似をしたら、絶対に許さない。

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「先輩」 　ある日、私がいつものように学校へと登校したら、校門近くで後ろから下級 生に声をかけられた。 「先輩」なんて声をかけられるのは、久しぶりだなと 　思いながら、振り返ってその下級生を見る。 　長い髪の毛を、頭の左側で丸くお団子みたいに結って赤いリボンで止めてい る。 「何か用かな？」 　笑顔で呼びかけてきた彼女に、私も笑顔で答える。 「いえ、何だか顔色が良くないから、大丈夫かなって思いまして」 　何の面識もない相手から、イキナリそんなことを言われるくらいだから、よ ほど顔色が良くないんだろう。 　教室に行ったら、ちょっと鏡で顔色を見てみようとそう思った。 「あ、そ、そうかな？　別に大丈夫だけど」 「そうですか」 　そう言うと、彼女は私の側を通って校門をくぐっていく。 　ただ、ちょうど、彼女が私とすれ違ったときだった。 「でも、凄いですよ。神魔の匂いが」 「え？」 　神魔と聞いて、思わず彼女を呼び止めようとした。でも、そこにはすでに彼 女の姿が無い。 「誰、今の子？」 　何か、凄く嫌な予感がする。 　ひょっとしたら、樹さんがらみで何かあるのかもしれない。 　もっとも、このことは私にとってどうでも良いことになった。 　その日の夜、いつものように樹さんと会った際に、また樹さんの体からあの 女の匂いがしたから。 　我慢も限度だった。 「樹さん、先輩とまた会ったんですね」 「うん、今日は彼女に呼び出されてね」 　最近、樹さんは校門の前で待っているということをしなくなり、こうやって 用事があるときにだけ、呼び出されるらしい。 　私の中で、更に先輩への不快感が増していく。 　もう我慢も限界。 　先輩も、樹さんの体に染み付いている先輩の匂いも、何もかもが不快だ。 　でも、どうすればいいだろう？ 　どうすれば、樹さんを綺麗に出来るだろう？ 　…… 　………… 　……………… 　あ、そうか。 　そうだ、簡単な方法があるじゃないか。 　全部、全部綺麗に洗い流しちゃえばいいんだ。 　あは、あははははははは。 　そして、ある日、私は学校帰りの先輩を呼び出した。 「来てくれて嬉しいです、先輩」 　その手に、一本のナイフを持って。 運命の出会い（完）　吸血姫夜話　巻の八へ続く

あとがき