あゆのいる場所

どかどかどかと、怒りを露わにした歩き方。道行く者が、時折振り返ってる けど、そんなことはお構いなし。文句があるならいつでも受けて立ってやるわ よ。今私は、とっても機嫌が悪いんだからね！ 　だけど、立ち向かってくるやつなんていやしない。そう、あいつ以外は私に 立ち向かう奴なんていやしないんだから。 　気が付くと、すでに見慣れた部屋の前。合い鍵を出して、鍵穴に差し込み右 に回す。すると、かちゃんという小気味のいい音がして鍵が開いた。 　もうすぐ、もうすぐ我慢も終わりだ。はやる気持ちを抑えながら、扉のノブ に手をかけて引く。 ――ガシャン！ 　その妙な音と共に、扉はほんの少ししか開かなかった。調度、私の目の前に は扉と繋がってるチェーンの姿。それと同時に、込み上げてくる怒り。そう、 そんなに私を怒らせたいのね。 　すうっと胸に空気を吸い込む。 「あにしとんじゃわれ〜！　とっとと開けんか〜い！」 　僅かな隙間から部屋の奥へと、声を大にして叫ぶ。そして、一度扉を閉める と、今度は足でがんがんと扉を蹴りつける。このままべこんべこんにして、叩 き壊してみるのもいいかもしれないわね。 「うるせぇぞ、こらぁ！」 　そう思った矢先に扉が大きく開かれて孝之が顔を出した。 「帰ってきたなら帰ってきたで、静かに入れねぇのか！？」 「あんですと〜！　ご丁寧に扉にチェーンまでかけてくれちゃって、よくそん な口利けるわね！」 「だからって、そんなに大騒ぎすることかよ！　扉にまで蹴りくれてよぉ〜！」 「ふん。こんなぼろい扉、こうした方が少しは綺麗になるんじゃないかしら？」 　ふに。 「あ、あにふんのほ〜！」 「ん？　こうした方が綺麗になるんじゃないかと思ってな？」 　人のほっぺたを両手で引っ張った上に、そんな科白を吐いてくれちゃって。 この男は、何処まで人を馬鹿にすれば気が済むの？ 「はなへ〜」 　ぱっ！ 「いった〜！　あんてことしてくれるのよぉ〜！」 「ほら、馬鹿なことしてないで入れよ」 「あんですと〜！　誰が馬鹿だって〜！」 「いいから、入れっての〜」 「ふん。お願いですから、この小汚い部屋の中に入ってください、美しい大空 寺様、の間違いじゃないの」 「馬鹿。お前――」 　また馬鹿ってほざきやがったなぁ。この男はぁ〜！ 「うがああああああああ〜〜〜〜〜〜〜！！」 　ふに。 「いいから入れっての」 「うは〜〜〜〜〜！！！」 　ちょっと！　ほっぺたを引っ張って中に引きずるんじゃないわよ！　いたい じゃないのさ〜！ 「はなへ〜〜〜〜！！！」 　ぱっ！ 「われ〜！　良い度胸してるやないか〜！　いてまうど〜！」 「あ〜、もう判った。悪かったから、少し落ち着いてくれ」 「うがああああああああ〜〜〜〜〜〜〜！！」 　これが落ち着けるか〜！　それでなくても、機嫌が悪いっていうのに〜！ 　その時、ぽんっと孝之の手が頭に乗せられた。途端に、それまでの荒々しさ が消えていく。 「で、今日は何があったんだ？」 「…………」 　さっきまでのイライラが、だんだんしぼんでいくのが判る。そう、こいつと、 こんな風に話を始めるといつもそうだ。 「また、バイトをクビになったか？」 「……それは、まだ」 「じゃあ、何だよ」 　こいつ、私の機嫌が悪いのはバイトせいだけとでも思ってるわけ？　まった く、相変わらず想像力の無い男ね。 「電話が、あったのよ。家に帰ってこいってね」 「え？」 　驚いてる。それも当然か。ここにいることが、当たり前になってるしね。 「糞親父が、帰ってきやがったのさ。で、早々に私を呼びだしたってわけ。前 に、はたかれて飛び出した件もあるから、そのフォローでもしたいってところ でしょうね」 「じゃあ、これから行くのか？」 「行きたかないけど、行かないと面倒なことになりそうね。黒服にサングラス の連中が、ここに来たりすると大変でしょ？」 　まあ、それはそれで、面白かったりする。 「…………」 「…………」 　静かな間。心配そうな孝之の顔。以前だったら、ここであろう限りの悪口雑 言をぶちまけてやるところだけど――。 　ぽふ。 　今は、口が動く前に体が動く。 「一人で大丈夫か？」 　抱きしめてくれる腕。暖かい温もり。そして、優しい言葉。今は、それが何 よりも嬉しい。 「馬鹿にするなさ。それに、あんたなんて、うちの敷居をまたぐどころか、門の 前で射殺されるのがおちね」 「誰もお前について行くなんて言ってないぞ。それに、日本は法治国家じゃな かったか？」 「あんたみたいな糞虫が一匹死んだくらいじゃ、この国の警察は動きゃしない わよ」 「…………」 「ごめん。今の……無し」 　いつもの癖で、つい口にする言葉。いつもなら気にしないけど、今はちょっ とタイミングが悪かった。 「ちゃんと帰ってこいよ」 「心配するなさ。とりあえず、手はうってあるから。それに、女日照りの泣き 虫野郎を、この小汚い部屋に一人置いておくのも可哀想だしね」 「誰が女日照りだって？」 「あんたにきまってるやろ」 「誰が泣き虫野郎だって？」 「あんたにきまってるやろ。これ以上、同じ事言わせるなや」 「そうだな」 　ふに。 「あ、あにふんのほ〜！」 「好き放題言いやがって、このやろうは〜！」 「はなへ〜！」 　ぱっ！ 「いった〜！　黒服呼ぶぞ、この糞虫野郎〜！」 　このあと、こんな感じの不毛な戦いをしばらくして部屋を出た。本当は行か せたくない。そんな思いがにじみ出ていたけど、孝之は笑顔で送り出してくれ た。 　もう孝之には会えないかもしれない。それが本音。今日、わざわざ帰ってき たのも、最後に会いたかったから。だって、あの糞親父との、きっと最後の戦 いになるだろうから。 　迎えの車に乗るとき、思わず孝之の部屋を見上げる。小汚くて、うちの犬小 屋にでもしたいくらいに狭い部屋。でも、そこはとても居心地がよくて、安心 出来る場所。 　きっと帰ってくるから待ってろ、この糞虫野郎。そう思うと同時に、車が静 かに走り出した。一番行きたく、自分の家に向かって。 　 あゆのいる場所（了）

あとがき