卒業

秋の訪れと共に、風が徐々に冷たくなり始めている。そんな季節の移り変わ りの中、私がその学園に潜り込んだことは、ただの偶然だった。 　全寮制の学園というのは今までも何度か潜り込んだこともあるし、もしそこ に神魔がいれば自分の役目を果たし、神魔がいなければ誰か気に入った娘の血 を貰う。ただ、それだけのことだった。 　町外れの、緑が多く残る丘の上に作られたミッション系の学園。校門までは、 長い上り坂を昇らなければいけない。さらに、学園を囲む壁も校門も、凄く大 きくて外からは中の様子を伺い知ることが出来ないので、さながら西洋の城の ような風格を醸し出していた。 　創立が古く、歴史ある全寮制の学園というのは、何処も閉鎖的な所が多いけ れども、ここはそのどれよりも際だっている。 　そんなことを思いながら私がその学園の敷地内に一歩、足を踏み入れた瞬間 だった。私の体に妙な感覚が広がり、思わず周囲を見回す。でも辺りには誰も いないし、神魔の気配すらも感じない。 ――何なの、この感覚。 　ごく僅かに感じる圧迫感。それは神魔の気配とも違い、何か神聖な感じがす る。 ――美夕。 　ふいに、ラヴァの声が聞こえたので、私は耳を傾けた。 ――お気づきになられましたか？ 「うん。この学園、外と中で、まるで空気が違うね」 　そう答えると、私は辺りに注意を払いながら再び歩き出した。

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学園内は、いたって普通だった。例の圧迫感は未だに続いているけど、他に は気になる点もないし、息苦しくもない。むしろ空気が澄んでいて、心が弾む ような感覚すらあった。 　学園長への挨拶。そして、先生方への挨拶。それは、どこの学校でもあるこ とだったので、私はそれらを滞り無く済ませる。そして、その挨拶が終わるの を見計らったかのように園長室に入ってきた一人の女生徒の姿を見て、私は一 瞬息を呑んだ。 ――神魔！？ 　長く、黒光りするくらいに輝く綺麗な黒髪。そして、右目の色が黒く、左目 の色が碧い。見るものが、自然と目を向けてしまうくらい強い存在感がある彼 女。でも、私は一目見ただけで判った。彼女が、人ではなく神魔だということ が。 「彼女が高等部の三年生で、寮長の金江さんです。金江さん、こちらが今日か ら中等部の二年生に編入される、山野美夕さんです」 「山野美夕です。宜しくお願いします」 　学園長が私のことを紹介したので、私は平静を装いながらそう言って会釈を した。すると、彼女も軽く会釈をして「金江瑠奈（かなえるな）です」と笑顔 で答えたあと言った。 「学園長すみません。彼女のことは私、聞いていませんでしたけど、お部屋の ことはどうなっていますか？」 「実は、まだ決まっていないのですよ。何しろ、急なことだったので……」 　それは、いつものこと。私が学園に潜り込む時、特に全寮制の学校の場合は、 だいたいこうなる。何しろ、昨日まで私は人間の世界に存在しないことになっ ているのだから。 「それでは、ちょうど私のルームメイトがいないことですし、私の部屋でとい うことではいけませんか？」 　その瑠奈の言葉に私は驚いた。神魔が、わざわざ監視者を呼び込むようなこ とをするなんて考えられないから。私のことに気づいてないのか、それとも気 づいていて、わざと私を呼び込むつもりなのか判らないので、私は警戒しなが ら瑠奈の様子をうかがっていた。 　そのあと、学園長が瑠奈と二言三言何か意見を言い交わし、結局私は瑠奈の 部屋に行くことになったようだった。 「では、そういうことで金江さん、宜しくお願いしますよ」 「はい。それじゃ山野さん、行きましょうか」 　私は、とりあえず「はい」と答え、もう一度会釈をすると園長室から出て、 彼女の、金江瑠奈の後についていった。

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「とりあえず、ここが私の部屋。いえ、今日から私達の部屋かな？」 　そう言って、瑠奈は私をその部屋に通した。二つのベッドと、二つの机が置 かれただけの部屋。狭くはないけれども、広くもない。特に普通の部屋だった。 「こっちが私の使ってるベッドで、こっちが私の使っている机。だから、山野 さんはこっちを使ってね」 　柔らかで物腰で、丁寧に教えてくれるその様子には、神魔らしさの欠片も感 じられず、むしろ優しいお姉さんといった感じだった。 「荷物はあとで届くことになってるのかな？」 「いえ、荷物はこれだけです」 　そう言って私は、手に持っている鞄を軽く持ち上げて見せた。すると、瑠奈 は笑みを浮かべて「そうでしょうね」と言った。その余りにも露骨な返答を聞 いて、瑠奈が私のことに気がついていると察した。 「えーと、教科書だけど、中等部用の教科書は今日中に運んで貰うようになっ てるだろうから問題ないね。じゃあ、寮と校舎の中を案内しましょう」 　私は手に持っていた鞄をあてがわれた机の上に置くと、再び瑠奈の後につい ていった。 　途中、色々なところを見て回り、そして様々なことを教えてくれる。食堂や、 教室の場所。各移動教室や礼拝堂など。また、歩いている途中でも、校則のこ とや、寮則のことを色々説明してくれた。 　ただ、寮の各部屋は、それぞれ中等部と高等部の二人で割り振られると言う ことを教えてくれた時、突然立ち止まったかと思うと振り向いて、「私が高等 部に所属していたからよかったね」と言ったので、私は眉をひそめた。 「まるで、人間みたいだね」 　私は、再び歩き出した瑠奈の背中に向けて、そう呟いてみた。すると、彼女 は立ち止まって振り向くと、「私のことは瑠奈って呼んでいいから、私も美夕 って呼んでいいかな」と言った。 　まるで、今の私の言葉を聞いていないみたいだったけれど、それはその時だ けで、再び案内を始めた瑠奈は歩きながら私に小声で話しかけてきた。 「ねえ、美夕。あなたも気がついただろうけど、私も気がついたよ。あなたが、 監視者だってことを」 　この時、私はこの学園での生活が、波乱に満ちたものになることを確信して いた。

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その日の夕食時間に、私は他の生徒達に挨拶をした。全寮制で中高一体の学 校とはいえ、生徒数が少ないので全員が集まる時間はこれくらいだろうという 瑠奈の言葉だったが、確かに生徒の数は少なかった。おそらく、全校生徒合わ せても二百人もいないかもしれない。 　やがて夕食を終えると、私は瑠奈と一緒に部屋に戻る。そして、再び二人き りになったところで、瑠奈が話しかけてきた。 「さて、とりあえず今日やることは終わったね。それじゃ、お互いのことでも 話そうか？」 「お互いのこと？」 　私は、怪訝な表情を浮かべて瑠奈を見つめた。だけど、瑠奈はまるで臆する 様子もなく、むしろ馴れ馴れしいくらいの態度で私に話しかけてくる。 「そうそう。だって、これから一緒に暮らしていくんだもん、お互いのことを 少しでも知っておいた方がいいでしょう？」 「あなた、自分が何を言ってるのか判ってるの？　大人しくしてないと、闇に 帰さなきゃいけなくなるんだけどな……」 「神魔は、闇に帰るのが宿命だもんね。でも、私は大人しくしてるよ。だから、 闇に帰す必要はないんじゃない？」 「神魔は、人と関わってはいけないの。判ってるでしょう」 「もう、堅苦しいこといわないでよ〜」 　そう言って、瑠奈は私の肩をポンと叩いた。その、妙に軽いのりに私はただ 苦笑するしかなかった。

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この日から、私の、この学園における生活が始まった。でも、学園の生活と いっても何処もだいたいは一緒。ただ、寮での生活ということなので、他人と の接点が多くなるということだけが違うことだった。 　でも、二日、三日と日を重ねる度にクラスで友達も出来るし、寮の中でも隣 の部屋の人達とも顔見知りになる。だから気がつくと、他人との接点の多さと いうのも余り気にならなくなっていった。 　そんな中で、唯一気にかかるのは瑠奈のことだった。同じ部屋で生活をして いく以上、私達は自然にお互いのことを知ることとなる。それが神魔であれば、 なおさらだった。でも、私はこの三日間、あまり瑠奈とは言葉を交わしていな いし、心を許してもいない。一緒の部屋にいる以上、いつ寝首をかかれるかも 判らないからだった。 　所が、そんな私の思いに反して、瑠奈は神魔と監視者という関係よりも、む しろ友達と言った方がいいくらいの態度で接してくる。常に警戒し、無視する 態度を示す私に、瑠奈はいつも笑顔で話しかけてきた。 　まるで神魔らしさを感じない、何処から見ても普通の女の子。それが、瑠奈 への感想だった。実際に、学園内の評判は凄く良かったし、寮長としての仕事 だけでなく、先輩として後輩からの悩みを聞いたりするその優しさが人々の信 頼を得ているようだった。私が、瑠奈と同室になったというだけで、中にはう らやましがる人さえもいたのだから。 　だけど、一つだけ気になることがある。それは夜中、みんなが寝静まったあ と、一人静かに部屋を出て行き、しばらくして戻ってくるということを繰り返 していたことだった。 　何処に行くのか、それをラヴァに探らせたら、彼女は礼拝堂で祈りを捧げて いるという。ミッション系の学校ということで、礼拝という時間割があるくら いなのだが、それでも夜中に、それも神魔が神に祈りを捧げるという余りにも 滑稽な行動に私は困惑していた。 　そして、この日も瑠奈は夜中にそっと部屋を出ていった。 「ラヴァ、いる？」 　瑠奈が部屋を出ていったことに気がついた私は、ベッドに横になったままそ う呟く。すると、私の傍らにラヴァが姿を現したのが判った。 「これから、礼拝堂に行ってみようと思うけど、どう？」 「……あまり、ご無理はなさらないように」 「うん。判ってる」 　そう言って私はベッドから起きあがり、瑠奈の後を追って礼拝堂へと向かっ た。

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白装束に赤い帯という、いつもの出で立ちに身を包んだ私は、礼拝堂の扉の 前にいた。この中に瑠奈がいる。でも、礼拝堂には灯りは灯っていなかった。 　私は扉にそっと手をかけ、僅かに開いた間から礼拝堂の中に入った。ただ、 中に一歩足を踏み入れた瞬間、あの圧迫感がより強くなった気がした。 「美夕、大丈夫ですか？」 　ラヴァも同じことを感じたらしく、心配そうな声をかけてくれたので、私は 「大丈夫」と答え、中の様子をうかがった。闇に包まれた礼拝堂はひっそりと していて、窓から差し込む月明かりが、ごく僅かに床を照らしているだけだっ た。 　私は目を凝らして礼拝堂の奥を見つめ、一人祈りを捧げる瑠奈の姿を見つけ た。窓から先込む月明かりが床に反射し、その光りで黒く光るような瑠奈の髪 と後ろ姿は、見る者を虜にするような感覚さえ覚えた。 　でも、そんな美しさに見とれているわけにもいかない。瑠奈は、まだ私達の 気配には気がついていないようだったので、私はラヴァを伴って歩み寄ってい く。だけど、そう思っていたのは私だけだったのか、瑠奈は気配に気がついて ゆっくりと振り向いた。 「こんな夜更けに、何か用事？」 「それは、私が聞きたいことだね。こんな夜更けに、神魔が一人、神様に祈り を捧げるなんて……」 　私の問いかけに、瑠奈は笑みを浮かべて答える。 「ああ、これね。こんな場所にいると、不思議と信心深くなっちゃってね、い つの間にか神様に祈りを捧げるようになっちゃったのよ。それで、あなたは何 しに来たの？」 「そんなこと、聞かなくても判ってるでしょう？」 　私がそう言うと、瑠奈の顔から一瞬だけ笑みが消えた。 「私を闇にね。でも、無理だよ、そんなこと……」 　そう言って瑠奈は立ち上がり、私達の方に向き直って両手を広げた。 「試してみる？」 　笑みを浮かべてはいるけれども、挑戦的なその態度に私は気分を害して、瑠 奈を睨み付けながら、そっと手の平を差し出した。はぐれ神魔を闇へと帰す監 視者の炎。でも、いつものように現れると思っていた炎が、この時はいつまで 経っても現れなかった。 ――何これ！？ 　私は、もう一度気を入れ直し、「炎よ」と声を高々に発して腕をつきだした。 それでも、私の炎が姿を現すことはなく、その様子を見ていた瑠奈がクスクス と笑い出したので、私は更に気分を害した。 「ラヴァ！」 　私の声と共に、傍らにたたずんでいたラヴァが、その鋭い爪で瑠奈に斬りか かる。その素早さに瑠奈は避けることも出来ないのか、平然とした態度でラヴ ァの手刀を首元に受けた。でも、その攻撃を受けたにも関わらず、瑠奈の首は 繋がったままだった。 「いった〜い！　何するの！？」 　瑠奈は、指先で首を軽く振れながら、少しふくれてそう言った。ラヴァの爪 がつけたと思える赤い筋が、みみず腫れのようになってその首筋に見える。 　一瞬、ラヴァに迷いが生じたのが判った。でも、ラヴァはすぐに手刀を構え 直すと、真っ直ぐ瑠奈の腹部めがけて突き刺した。 　所が、手刀は瑠奈を貫くことが出来ず、着ている服を切り裂く事さえも出来 なかった。 「痛いって言ってるでしょぉ〜、もう！」 　不満を露わにしている瑠奈に見ながら、私は驚きながら言った。 「一体、どういうこと？」 　すると、瑠奈は再びクスクスと笑い出し、一歩足を踏み出す。その様子を見 て、ラヴァは瑠奈から離れて私の背後に控えるようにたたずんだ。 「これで判ったでしょう。無理だってことが」 「……あなた、一体何をしたの？」 「何もしてないよ。失礼しちゃうなぁ〜。あのね、ここは元々そう言う場所な んだよ。あなたも、気がついてるはずでしょ、この学園内に立ちこめる圧迫感 を」 「圧迫感？」 「そう、ここはね、とても神聖な場所なの。創設者が何を思ったのか、この学 園全体を守る、一種の結界のようなものを張り巡らしたらしいのよ。だから、 この学園内では、私達神魔は、その力を十分に発揮することは出来ないの。特 に、殺生沙汰に関する力は、殆ど押さえ込まれちゃってるのよ」 「そんなことって……」 　私は信じられなかった。この学園内に立ちこめる圧迫感は、確かに感じてい た。でも、まさか、それがこのような形で私達に作用しているなんて、簡単に 信じられるはずがない。だけど、もし瑠奈の言葉が本当なら、今目の前で起き たことが全て説明が出来てしまう。 「じゃあ、この学園内にいるときは、あなたには手を出せないっていうこと？」 　瑠奈は何も答えず、ただクスクスと笑い続け、手で自分の髪の毛を軽く梳い た。 「そういうこと。でもね、方法が無いわけじゃないんだよ」 　そう言った瞬間、瑠奈の目に殺気がみなぎったので、私は咄嗟に身構えた。 ラヴァもその気配を察知したのか、私をかばうように前に立つと、そっと腕を 伸ばして手刀を構えた。 「例えばね……こういう物を使うのよ！」 　そう言って瑠奈は、懐から何かを取り出した。次の瞬間、「パン！」という 音が礼拝堂内に響いたけど、私はいつの間にかラヴァに抱きかかえられていた ので、何が起こったのか判らなかった。 「素早いね。この至近距離で避けられるなんて……」 　思わず目を閉じていた私は、その言葉を聞いて目を開けた。暗闇にたたずむ 瑠奈は、右手に黒い何かを持っている。それからは、ごく僅かに煙が立ち上っ ているのも見て取れた。 「ここで使えないのは、私達神魔の力だけなの。だから、こういう人間が使う 物なら、相手を倒すことが出来るのよ」 　そう言って、瑠奈が右手に持っている物を私に向けた時、それが黒く光りを 放つ拳銃であることに初めて気がついた。そして、再び「パン！」という音が 響き、私はラヴァに抱きかかえられた。 「美夕！　逃げてください！」 　ラヴァが必死になって叫び、私を出入り口の方へ促す。でも、瑠奈はそれを 許さないかのように銃撃してきたので、うかつに動くことも出来ない。仕方が ないので、私は身を出来るだけ低く構えて、その銃撃をうまく交わしていた。 　でも、私の頭の上を、弾丸が通り過ぎていくので、とても頭を上げられない。 ラヴァは、そんな私を必死になってかばいながら、隙をついて瑠奈に攻撃を加 えるけれど、先ほどと同じように傷一つ付けることは出来なかった。 　やがて、寸分違わない正確な射撃によって、私達は次第に壁際に追い込まれ てしまった。 「一体、そんなものを何処から？」 　私は、瑠奈の構える銃を見ながらそう言った。 「変なこと聞くのね？　簡単じゃない。持ってる人間から頂けば済むことでし ょ？　私達なら、そんなこと簡単に出来るじゃない。それより、ねえ美夕。吸 血姫って、不死身なんでしょう？　でも、こういう物で頭を吹っ飛ばされたら、 どうなるのかな？」 　私達を追い込んだ瑠奈は、笑みを浮かべてそう言いながら、銃を構えている。 そして、ラヴァにかばわれている私の頭に狙いを定めたかと思うと、迷うこと なく引き金を引いた。でも、その瞬間あの大きな音は聞こえず、かわりに「カ チ！」という乾いた音だけが辺りに響き、それと同時に瑠奈が「ば〜ん！」と 叫んだ。 「残念、弾切れでしたぁ〜」 　楽しそうに笑みを浮かべた瑠奈は、銃口にふっと息を吹きかけると、銃を懐 に戻した。 「これで、判ったでしょう？　ここでは、例え監視者でも戦いは無理だってこ とが。それに、ここにいれば神魔も人間もないから、お互いの境界を考えるこ となく生きていける。そういう場所なのよ」 　そう言い放つと、瑠奈は踵を返して礼拝堂の出入口へと歩み寄っていった。 でも、扉に手をかけた時、何かを思いだしたかのように振り向いた。 「最近、部外者が入り込むことがあるみたいだから、早く部屋に戻りなさいね」 　そう言って笑顔を浮かべると、瑠奈は扉の向こうへと消えていった。姿が見 えなくなると、私の体からは一気に力が抜けてその場に座り込んでしまい、そ んな私をラヴァはそっと抱きしめてくれた。 「美夕、お怪我は？」 「うん、大丈夫。ラヴァは？」 「私も、大丈夫です。どうやら、遊ばれてしまったようですね。あの神魔は、 わざと狙いを外していたようですから……」 　ラヴァが思っていたことは、私も感じていた。ただ、この時は緊張が解れた ためか、そのことを考える余裕はなく、ただラヴァの腕の中に力無く抱きしめ られただけだった。 「明日からの生活、今まで以上に気を付けなきゃいけないね」 　そう言うと、私はラヴァの腕に抱かれたまま、静かに目を閉じた。

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その日、私は朝までずっとラヴァと一緒に過ごした。あんなことが起きた後 では、とても部屋に戻る気はしなかったから。でも、夜が明けるとそんなこと も言っていられなくなった。 　寮の朝は早い。特に、部活動の朝練に出るために早起きする人の朝は凄く早 かった。まだ、他の生徒が寝ている時間には起きて、洗面をし、着替えて寮を 出ていく。だから、夜が明けると、寮内は自然と慌ただしさが溢れていった。 また食堂では、これだけいる寮生達の朝食を作らなければいけないので、朝早 くから凄い忙しさだった。 　そんな慌ただしさの中、自分の部屋に戻ると、瑠奈はベッドで軽い寝息を立 てて眠っていた。その寝顔からは、昨晩相まみえた時の様子はまるで窺えない。 　ふと時計を見ると、まだ起き出すには少し早い時間なので、私はとりあえず 自分のベッドの上に腰を下ろした。 「やっと戻ってきた」 　突然、部屋の中に響いた声。私が驚いて振り向くと、瑠奈がベッドに横にな ったまま、いつの間にかこちらを向いて微笑んでいた。 「早く戻りなさいって言ったのに」 「……起きてたんだ」 「ううん、寝てたよ。部屋の中に、誰かが入ってきた気配で目が覚めたんだ。 でも、よかった、戻ってきてくれて」 「よかったって、どういうこと？」 「言葉の通りだよ。だって、今までルームメイトもいなかったし、ちょっと寂 しかったんだ。それにさ、下手に人間と一緒の部屋になると、正体とかばれそ うになって大変でしょう？　美夕なら、別にそういうこともないと思ったから、 同じ部屋にして貰ったんだよ」 　私は複雑な思いだった。はぐれ神魔が言うこと。それが本心なのかと疑いた くなる反面、その穏やかな口調から生まれる安心感みたいなものが私の心を揺 さぶったからだ。 「わざわざ、監視者を自分の側に呼び入れるなんて、いい度胸だよね」 　心の動揺を悟られないよう、わざとそんな脅しにもとれる言葉を言ってみた。 でも、瑠奈は笑みを浮かべてそれを聞き流す。 「ねえ、そっち行っていいかな？」 　ふいにそう言った瑠奈は、私の返事も聞かずにベッドから起きあって、私が 腰をかけているすぐ側に座り、私の顔を見つめた。そして、しばらくそのまま でいたかと思うと、笑みを浮かべ、突然私に抱きついてきた。 　私は瑠奈を支えようと思ったけれども、私よりも一回り程大きい体を支える ことが出来なかったので、そのまま覆い被さられる形でベッドに倒れ込んだ。 その長い髪が私の体を包み込むようにふわりと浮かんで、腕や指にからみつく。 それと同時に瑠奈の背後にラヴァが姿を現したのも見えた。 「ちょっとぉ〜。女の子の部屋に突然現れるなんて、随分と無粋じゃない？」 　瑠奈が、背後に現れたラヴァに対して肩越しにそう文句を言ったあと、私は 「大丈夫よ」とラヴァに言った。すると、ラヴァは一瞬戸惑った様子を見せた けど、すぐにその場から姿を消した。 「ありがと、美夕」 　ラヴァが行ったあと、瑠奈は私の耳元に囁きかけるような声でそう言って、 抱きしめている腕に少しだけ力を込めた。 「美夕の体って冷たいね。でも、いい匂いがするなぁ〜」 　そう言い終えると瑠奈はクスクスと笑いだし、横になったままで私の髪を手 で弄び始めたけれど、私は天井を見つめたまま様子をうかがうことにした。 「ねえ、美夕。今、凄く警戒してるでしょ？」 　私の警戒心を見透かしたようにそう言うと、瑠奈はころんと寝返りを打つよ うにして、私の上から体をどける。そして、自分の髪を手で梳いて整えると、 ベッドにうつぶせになって頬をシーツに付けて微笑んだ。 「そんなに警戒しなくても、何もしないよ。心配しないで」 　屈託のない笑顔と、甘えるような仕草。でも、昨晩あんなことがあったばか りなのに、その言葉を信じろという方が無理な話だと思う。そんな私の心情を 知ってか知らずか、瑠奈は私の頬を指でぷにぷにと押してくる。 「その顔は、そうとう警戒してるみたいだねぇ〜。まあ、しょうがないか。で も、私これからも美夕にこういう風に接するから、それだけは覚悟しててね」 　そう言うと、瑠奈は立ち上がってカーテンを開けた。朝の光が部屋の中に広 がり、私はその眩しさに思わず目を細めてしまう。だけど、その光りの中に浮 かび上がる瑠奈の後ろ姿と、綺麗に輝く黒髪、そして碧い左目は凄く綺麗に見 えて印象的だった。

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神魔の力。それも、相手に傷をつけるという行動そのものが無効になるとい う不思議な力に守られた全寮制の学園。その力の前では、監視者である私でも 抗うことは出来なかった。 　でも、普通に人間らしく生きていくということなら、この学園は神魔にとっ てとてもいい場所かも知れない。それは、瑠奈を見ていても判った。 　あの日から数日が経ち、私は警戒しながらも同じ部屋で過ごしたけれど、瑠 奈は本当に神魔らしさを微塵も感じさせなかったし、むしろ人よりも人らしく 思える程だった。 　だからといって、私はまだ瑠奈に対する警戒心を解いてはいない。どんなに 人らしく見えても、神魔であるということは変えようもない事実だから。 　でも、毎日同じ部屋で顔を合わせ、笑顔で話しかけてくる瑠奈と一緒にいる と、徐々にその警戒心も薄れてくる。何故なら、瑠奈はいつも私に対して友達 のように接してきたからだった。つまらない冗談を言ったり、たわいない話を したり、時々先日のように、ふざけて私をベッドに押し倒し、その度に気を揉 んで姿を現すラヴァをからかうということもしていた。 「でも、羨ましいな。危険を察して、すぐ来てくれるなんてさ」 　ある日、瑠奈はこんなことを言った。この時は、いつものようにふざけて私 を押し倒したけれど、ラヴァは姿を現さなかった。何時もからかわれていたラ ヴァも、いい加減に騙されないとでも思ったのかもしれない。ところが、いつ まで経ってもラヴァが現れないことに気がついた瑠奈は拳銃を取り出して私の こめかみに突きつけた。当然、ラヴァは姿を現し、銃を持つ腕を取って捻り上 げたけれども、すぐにその銃には弾が入ってないことが判り、私達の前から姿 を消していた。 「私ね、人間が好きで、よくこういう場所に潜り込んだりするんだ。でも、友 達が出来るたびに怖くなるの。だって、私の気持ちが判る人がいたとしても、 私自身の存在を判ってくれる人なんているわけないから」 　そう言いながら、瑠奈は手に持っている拳銃の引き金を何度も引いた。その 度に、カチ、カチという小気味いい音が部屋の中に響く。 「どんなに人と仲良くなっても私は神魔だし、神魔である以上、そのことを人 にうち明けた時点で、その関係が壊れちゃう。実は、ここに来る前に一度だけ そういうことがあったんだ。それでも、人間が好きっていう思いは変えられな いから、懲りずにこうして潜り込んで、人として振る舞ってる。ほんの少しで いいから、寂しさを紛らわせようとして」 「……私に、そんなことを聞かせて、どういうつもりかな？」 　今の話を聞いていた私は、瑠奈に対して妙な感情を持ち始めていることに気 がつき、自分を奮い立たせる意味もあってこう言った。でも瑠奈は、うつむた まま苦笑いを浮かべると、銃を手で弄びながら答えた。 「ごめんね、変な話聞かせたりして。でも、美夕なら私の気持ちを判ってくれ るかなって思ったんだ」 「はぐれ神魔と、一緒にしないで欲しいな」 「噂に聞いたことはあったけど、それは監視者としてのプライドかな？」 　私は何も答えず、ただ瑠奈の様子を見つめていた。すると、瑠奈はいつもの 笑顔を浮かべて銃の引き金の部分に指をかけ、くるくると回し始めた。 「でも私、美夕のこと好きだよ。美夕は迷惑かもしれないけど、こうやって同 じ場所でこんな話を聞いてくれる人なんて、簡単に巡り会えないしね」 　私は表情を変えず、ただその言葉を聞いていた。まだ、瑠奈に対する警戒心 を持っていたから、今の話を全て信じるようなことは危険だという思いがあっ たから。でも、この日の夜。ある光景を目にして、その警戒心が一気に薄れて しまった。 　夜。いつもなら、礼拝堂に行って祈りを捧げる時間。でも、この日は何故か 瑠奈はベッドに横になったままだった。そういう日もあるのかと思い、私は特 に気にせず、隣で眠り込んだけれど、ふいにある気配に気がついて目を覚まし た。 　時計を見ると、深夜二時を回ろうとしている。いつもなら瑠奈も眠っている 時間だったけれど隣にはいない。寝返りをうって窓の方を見ると、月の青い光 りの中に浮かび上がるようにして瑠奈がたたずんでいた。 　黒く長い髪は、月の光を受けて輝いて見える。こういう瑠奈の姿はとても綺 麗で、見る者を虜にする美しさがあると思う。実際、この時は私もしばらくは その美しさに見とれていたほどだった。だけど、閉じられた窓に写る瑠奈の表 情は、いつもとは違ってどこか寂しげで、何かを思い詰めたように感じられた。 　しばらくすると、瑠奈は何を思ったか銃を取り出して自分のこめかみに突き つけ、引き金を引くまねをして、撃たれた時のように頭を揺らすということを 何度も繰り返しはじめた。窓に写る唇が、引き金を引くまねをする度に「ばー ん」という言葉を紡いでいるのが判る。 　はぐれ神魔である以上、私は瑠奈を闇に帰さなければいけないし、情けはか けるつもりもない。だけど、いつも見せている姿と相反する、この物憂げな表 情を見た私は、瑠奈に対して徐々に興味を抱き始めていた。

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日曜日。それは寮生達にとって、唯一の息抜きの日。休日まで、寮にいなけ ればいけないという規則はないので、殆どの生徒は外出をするか実家に帰って しまう。だから、この日も昼近くなると、寮の中はひっそりとしていた。 　そんな静けさの中、私は多少だけれど体が怠かったので、部屋で一人、ベッ ドで横になっていた。この学園にきて一週間以上。その間、ただの一度も血を 吸っていないのが原因だった。 　時々、気に入った娘を見つけては血を吸おうと試みたけれども、例の力のせ いか、私の牙は人を傷つけることが出来ない。学園の外に行けば大丈夫だけど、 わざわざそこまでしてまで血を吸う自分を思うと情けなくなるので、仕方なく 我慢していた。いざというときは、ラヴァに少し貰えばいいのだから。 　そんなことを考えていたとき、ふいに部屋のドアが開いて瑠奈が顔を覗かせ た。 「美夕は、ちゃんといるね？」 　そう言うと、手に持っている名簿にチェックを入れていた。 「今頃点呼を取るなんて、どうしたの？」 「うん。また、部外者が入り込んだんだってさ。幸い、すぐにいなくなったそ うだけど、念のために今寮にいる人全員の確認をしなくちゃいけなくなってね」 　そう言うと、瑠奈は忙しなくドアを閉めて隣の部屋に確認に行ったようだっ た。人間に与えられた役目を、人間らしくこなしていく瑠奈の姿が滑稽に思え た私は、思わず笑みを浮かべた。 　だけど、その時私の頭の中に、ラヴァの呼ぶ声が響いた。今は側にいないみ たいだけど、何処かで私を呼んでいる。 ――どうしたの、ラヴァ？ ――神魔が…… 　私は、貧血のような症状に見舞われながらも体を起こして部屋を出た。廊下 の先では、瑠奈が部屋を一つ一つ廻って点呼続けているのが見えたけれども、 それを気にかけることもなく、体をふらつかせながら歩を進めていった。

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この学園の敷地は、ある意味特別な作りをしていた。丘の上に建てられ、校 門は一つだけ。しかも、校門をくぐってから、更に坂を上りきった所に校舎が 建てられているので、外からは中の様子が見にくい作りになっている。さらに、 敷地に入ると校庭を挟んだ向こう側は、崖になっていて昇るのも困難。校舎の 裏には、まだ未開発の森が広がっていて、そちらからは人が通る道もない。 　初めてみたときに西洋の城と形容したけれども、それも間違いではないと思 う。何故なら、この場所にそのまま城を建てれば、おそらく難攻不落の城が出 来るだろう。何故、このような場所に学校を建てたのか、私には判らなかった。 　そんなことを思いながら、私が向かったのは校舎の端にある、すぐ側に礼拝 堂のある所だった。でも、私がそこに行った時には神魔の姿はなく、ラヴァが 一人たたずんでいただけだった。 「申し訳ありません。この辺りまでは追って来れたのですが……」 「どんな神魔だったの？」 「はい。おそらく、西洋神魔が操る、使い魔かと」 「西洋神魔？」 　私は眉をひそめ、ラヴァを睨み付けるように見つめた。 「ラヴァの、知り合い？」 「いえ。少なくとも、私とはまるで関係の無い神魔でしょう。西洋神魔と言っ ても、たくさんいますから」 　私は辺りを見回したけれど、その場にはいないのか、神魔の気配は感じられ なかった。ただ、ごく僅かにだけれども、礼拝堂の裏に向かって気配の残りみ たいなものが感じられる。それは、本当にごく僅かなもので、見過ごしてしま っても不思議ではない程のものだった。 「美夕、お気をつけて」 　ラヴァがそう言ったけれど、私は言われるまでもなく辺りを警戒していた。 もし、今神魔に襲われても私には戦う力が無いのだから、それは当然のことだ った。 　だけど、それほど辺りに気を配っていたにも関わらず、その気配を追おうと して一歩足を踏み出した時、突然、背後から「どうしたの？」と声をかけらた ので、私は飛び上がるほど驚いて振り返った。 「点呼が終わったからって、勝手に外に出られちゃ困るのよねぇ」 　そう言いながらも、あまり困ったようには見えない表情を浮かべて瑠奈がた たずんでいた。 「気配を消して、人の後ろに立つなんて、あまり良い趣味じゃないね」 　知らない間に背後に忍び寄られ、気が動転していたこともあってか、私は睨 み付けながらそう言った。でも、瑠奈は笑みを浮かべて、まるでそれを聞いて いないような態度で答える。 「ごめんなさいね。何だか、余りにも熱心に辺りを探ってるから、ちょっと悪 戯してみようと思ってさ。で、一体何をしてたの？」 　私は何も答えなかった。とても、瑠奈の質問に答える気分じゃなかったから。 「気を悪くしたなら、ごめんなさい。でも、言ったでしょ。点呼取ったあとに、 いなくなられたら困るんだって。もっとも、美夕なら部外者相手でも心配する 必要はないでしょうしね」 　そう言って、瑠奈はラヴァをちらりと見て、私の側に歩み寄ってくる。 「でも、まさか部外者って、彼じゃないよね？」 　瑠奈がそう言ったとき、人が近づいてくる気配がしたのでラヴァは姿を消し た。それと同時に、一人の教師が瑠奈の後ろに姿を現した。 「あなた達、あまり出歩かないようにね」 　そう言うと、踵を返して廊下の先へと消えていく。 「大変ね。何しろ、全寮制の乙女の園だから」 　瑠奈が去っていく教師を肩越しに後ろを見ながら、呟くようにそう言ったあ と、私はもう一度礼拝堂の後ろへと続く気配に目を向けた。すると、その様子 に気がついた瑠奈が問いかけてくる。 「何かいるの？」 「……うん、神魔がね」 　その時、瑠奈の態度が一変したのが判った。それまでと違い、その場の空気 さえも変えてしまうような雰囲気が、瑠奈の体から感じられる。 「何処。何処にいるの？」 　神妙な面もちで、私が見ていた方向へと同じように目線を向ける瑠奈に、妙 な違和感を感じた。 「ごく僅かだけど、礼拝堂の裏に――」 　だけど、私の言葉が言い終わらないうちに、瑠奈は上履きのまま礼拝堂の裏 へと走りだした。その様子が、余りにもおかしかったので私も後に続く。 「一体、どうしたの？」 　瑠奈の背に向けてそう問いかけたけど、答える様子はない。やがて、礼拝堂 の裏手に廻ると、辺りをきょろきょろと見回しはじめた。 「美夕、気配、どの辺りに感じられる？」 「どうしたのって、聞いてるんだけど？」 　かみ合わない会話。今までも、こういうことは何回かあったけど、この時の はそれまでのとは違った。今の瑠奈には普段の冷静さがまるで見られず、余裕 も感じられなかった。 　結局、瑠奈は私の問いかけに答えずに辺りを調べ始め、そして裏山と学校の 敷地を分けるように設けられている金網のフェンスの一部に、人一人が楽に通 れるくらいの大きな穴が空いているのを見つけた。その穴は、裏山から伸びて いる木の枝や、雑草に隠れて見えにくい、というより何者かによって、意図的 に隠されているようにも見えた。 　そして、迷うことなく金網の穴を通って向こう側へ出ていき、辺りを見回す と目の前に続く獣道へと歩を進めた。私も、そんな瑠奈の後を追おうと、金網 の穴を通って向こう側に出た。何故なら神魔の気配は、この獣道の先の方にず っと続いてたからだった。

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獣道を歩く間、私達に会話は無かった。というより、話しかけられなかった という方が自然かもしれない。とにかく、今の瑠奈はとても話しかけられるほ どの雰囲気では無かった。まるで余裕が感じられないし、見ているだけでぴり ぴりとした緊張感が伝わってくる。学校にいるとき、何事にも余裕を持ってい たあの姿が嘘のようだった。 　それに、もう一つは神魔がいるという事実。相変わらずごく僅かな気配の残 りしか感じ取ることは出来なかったけど、この道を神魔が通ったということは 疑いようもなかった。 　しばらくして、先を歩いていた瑠奈の足が止まった。私が瑠奈の側に歩み寄 ってみると、その先には小さな祠が道をふさぐようにしてたたずんでいて、今 まで私達が歩いてきた獣道もそこで終わっていた。 　所々朽ち果てて、ぼろぼろになった祠は何時崩れてもおかしくない外観を見 せていた。そんな祠の姿を、瑠奈は呆けたように見つめている。その表情から は、先ほどまでの緊張感がまるで感じられなかった。 「瑠奈、そろそろ何か答えてくれない」 　私は、もう一度だけそう言ってみた。これまでの瑠奈の行動は、明らかにお かしい。何かを隠していることは、一目瞭然だったから。すると、しばらくの 沈黙の後、瑠奈が静かに口を開いた。 「……昔、一人の女性がいた。その人は、これといって取り柄はなかったけど、 人から慕われ、誰からも愛される人だった」 　瑠奈の口から漏れ出るようなその話は、そこで一度だけ区切らた。そして、 ため息をつくと再び話を続ける。 「でも、その人にも不幸が降りかかった。ある日、その人の所に、ある西洋神 魔が近づいたんだ。そして――」 　そこまで瑠奈が話した時だった。周囲の空気が変わり、言いようも知れない 気配が私達の周囲を包み込む。その気配を察知したかのように、ラヴァが私の 背後に姿を現し、瑠奈も懐から拳銃を取り出して構えた。 「囲まれたみたいね。神魔かな？」 「ねえ、瑠奈って、ひょっとして神魔の気配が判らないの？」 　私は、さっきから気になっていた。瑠奈は、気配に対してあまり敏感ではな いように感じていたから。すると、瑠奈は軽く頷いてから答えた。 「これだけ強力な結界の中にいたり、人間界での生活が長かったこともあって ね。すっかり、その辺の感覚が鈍くなってさ。何者かがいるっていうことくら いなら判るんだけどね」 　その瑠奈の言葉を聞きながら、私は辺りの様子に神経を集中させる。正確な 数は判らないけれど、木陰や草むらにかなりの数の神魔が潜んでいるのが判っ た。 「一度、引いた方がいいんじゃない？」 　瑠奈がそう言うと、ラヴァがそれに同意するように「美夕」と言って、私の 肩に手を置いた。 「しんがりは私が引き受ける。先に行きなさい」 「美夕、この場は彼女の言うことを聞きましょう」 　ラヴァもそう言って促すので、私は辺りに気を配りながら来た道を戻り始め た。瑠奈は、拳銃を構えながら私達の後ろを少し遅れて着いてくる。だけど、 私達が移動するにしたがって周りを囲む気配も同じように動いているのが判っ た。 　一歩一歩、慎重に歩を進めていくけれど、その慎重さが足を重くしているの か、いつまで経っても校舎まで辿り着けない感覚に襲われた。でも、しばらく すると私達の周りを取り囲んでいた気配が徐々に薄れていき、あの金網の穴ま で辿り着いたときには、全ての気配が私達の周りから消えていた。 「油断はしない方がいい。とにかく、一度部屋に戻ろう」 　拳銃を懐に戻しながら神妙な面もちでそう言う瑠奈の言葉に、私も異存はな かった。とにかく、今はこの場所から少しでも早く離れた方がいい。そう思い ながら、私達は足早に自分達の部屋へと戻っていった。

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部屋に戻った私は気が抜けたこともあってか、ベッドの上に倒れ込むように して横になった。何時、何処から襲いかかってくるか判らないという緊張感が 疲労となっていたのかもしれないけれど、それ以上に血の足りなさによって頭 がふらついていたからだった。 　だけど、瑠奈は私と違って椅子に腰をかけ、机の上に拳銃を置いて引き出し の中から工具を取り出して、慣れた手つきで拳銃をバラバラに分解し始めた。 そして、側にあった布きれでその部品一つ一つを綺麗に拭いていく。 「何をしているの？」 　私の問いかけに、瑠奈は手を休めることなく「手入れ」と答えた。 「もう一度、行くつもりなんだ」 　だけど、瑠奈は何も答えず、黙々と作業を続けた。 「ねえ、さっきの話の続き……西洋神魔のことだけど」 　すると、瑠奈の手が止まった。そして、再び手を動かし始めると同時に話を 始めた。 「西洋神魔は、たった一人で日本にやってきて、この日本の人の世に紛れ込ん だ。そして、偶然に出会った人間の女性に興味を抱いた。何故なら、その女性 は神魔の血を引いていたから」 「神魔の……血？」 「うん。遥か昔に、人と交わって生まれた神魔の子の末裔。その女性自身も、 自分が神魔の血を引いてるなんて知らなかった。でも、西洋神魔はそのことに 気がついて、近づいてきたんだ」 　そこまで言い終えると、瑠奈は分解した拳銃を素早く組み立て終え、一度引 き金を引いた。カチっという乾いた音が、部屋の中に響く。 「もっとも、周りにいた人間が西洋神魔に気がつき、必死に女性を守り、封じ 込めることに成功した。でもね、その時は既に手遅れだったんだ。何故なら、 その女性は神魔の子を宿していたから」 「……まさか」 　私は瑠奈の碧い左目のことを思い出し、思わずそう呟いていた。すると瑠奈 は振り向き、笑顔を浮かべて答えた。 「そう。その子供が私」 　その時、カチっという引き金を引く乾いた音が、もう一度部屋の中に響いた。 その音と重なるように、部屋の中にある時計の音が聞こえていた。気がつくと、 既に正午を廻っている。静かな、本当に静かな寮の昼下がりだった。 「私は、人の子として生まれ、人の子として育てられた」 　そう言って、語られ始めた瑠奈の過去。それは、私自信と重なることが多い、 彼女の苦しみだった。 「母は、私を身籠もっているという事を知ると、その場から逃げ出したらしい んだ。だって、人ではない者の子を身籠もった何ていったら、母自身もどうな るか判らないから。そして、誰一人知らない土地へ行って、私の事を始末しよ うとした。当然だよね。だって、人の子じゃないんだもん。でも、いざそうい う時になると、どうすることも出来なかったみたい。まだ、お腹が小さいうち に処分することだって出来た。でも、日に日に大きくなるお腹を見続けるうち に、自分が母親になるっていう使命感みたいなものが芽生えてきて、結局どう することも出来なくなったの。そして、私は生まれ、母の不安をよそに、普通 の人間のようにすくすくと育っていった。でも……」 　急に途切れた瑠奈の言葉。そして、その表情は徐々に曇っていく。 「私が１７歳の時に、私の時は止まった。人とは違う者として、目覚めてしま った。でも母は、そんな私を見捨てず、人としてずっと育ててくれた。だから 私も、そんな母の側から離れず、ずっと一緒に生きていくことにしたんだ」 　その時、瑠奈は泣いていた。黒い瞳と、碧い瞳から、透明な雫が静かに頬を 伝って流れ落ちていく。 「でも、ずっと同じ姿でいる私に周囲が奇異の目を向けてきた。当然だよね。 ずっと、少女の姿のままの人間何ているはず無いから。私達親子は、一ヶ所に 留まることが出来ず、色々な土地を彷徨うことになった。でも、母も私も幸せ だった。辛いと思うこともなかった。ずっと、ずっと二人で静かな時を過ごし ていけるって、そう思ってた。でも、でも、それも夢でしかなかった。だって、 私はずっと同じまま何だもん」 　私は立ち上がって瑠奈の側に歩み寄ると、その体をそっと抱きしめた。不思 議と、そうせずにはいられないという気持ちが、私の心を満たしていたから。 「私、ずっと同じ姿で、年も取らなくて……でも、周りはどんどん変わってい っちゃうんだ。まるで、私だけ置いて行かれるみたいに、季節に置き去りにさ れるみたいに周りは変わっていって……そして、ある日母は……」 「もういいよ、瑠奈」 　そう言って、抱きしめた腕に力を込めると、瑠奈は私の胸の中で泣きじゃく った。それは、いつもの自信に満ちた姿とは違って、母親を探している迷子の 子供みたいだった。 　永遠を持つ者の苦しみ。置いて行かれる、置き去りにされるという気持ちは、 私にもよく判る。私も、同じ運命を持っているのだから。ただ、私には監視者 としての使命がある。その使命を果たすことにより、そういったことを考えず に済んでいただけなのかもしれない。何も無い瑠奈にとって、永遠という時間 は余りにも長い。人として育てられ、人の心を持っているだけに、それは尚更 だっただろう。 「もう、いいよ」 　私はもう一度だけそう言うと瑠奈の背中を、小さい子をあやすように、ぽん ぽんと叩いた。すると瑠奈は、私の背中に腕を回した。その際に、手に持って いた銃が手から滑り落ち、ゴトンという大きな音を立てて床の上に転がった。 　それから、どれくらい経っただろうか。長い時間、泣き続けた瑠奈は、よう やく落ち着いて私から離れると、床に落ちている銃を手に取り、ゆっくりと立 ち上がった。 「醜態、見せちゃったね」 　瑠奈は目を伏せながら、私に視線を合わせないようにしてそういった。 「気にしなくていいよ」 　私がそう言うと、瑠奈の口元に笑みが浮かんだのが判った。 「初めてだよ、こんなの。他人の胸で泣くのも、自分のことを、ここまで喋る のも」 　すると瑠奈は再び椅子に腰をかけ、机の上に拳銃を置いた。 「私達、似てるのかな？」 　考え込むような素振りをみせたあと、瑠奈はそう言った。 「……どうかな？」 　私は、はぐらかすようにそう答えたけれど、内心は瑠奈の言う通りだと思っ ていた。神魔の血を引く母から生まれ、人として育てられ、そして目覚めの日 を迎えた。時が止まったことにより、それまでの私は私では無くなり、それま での私の存在そのものが夢となってしまった。 　似たような運命を持った私達。でも、監視者とはぐれ神魔の違いは大きい。 私は、何れ瑠奈を闇に帰さなければいけない。それが私の使命であり、はぐれ 神魔の運命なのだから。でも、もし、そういう時が訪れた時、私は瑠奈を闇に 帰せるのだろうか？ 　そんなことを考えているときに、瑠奈は呟くような声で私を呼んだ。 「ありがとう」 　そう言った瑠奈の顔には、いつも見せている満面の笑みがあった。その言葉 自体、何に対してのことなのか判らなかったけれど、私はそれに応えるように 笑みを浮かべていた。

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昼下がりの出来事の後、瑠奈は夜になるまで寮長としての役目を一通りこな していた。部外者の進入というアクシデントによって普段よりも正確に寮生達 の点呼、人数の把握を行わなければいけなかったので、結局落ち着いたのは夕 食前くらいになり、疲れた体を一休みする間もなく準備をして、みんなが寝静 まった深夜、再びあの場所へと向かった。 　今の私には戦う力がないので、足手まといになりかねなかったけど、はぐれ 神魔がいると判っているにも関わらず指をこまねいていることなんて出来はし なかったので、危険を承知で瑠奈についていくことにした。 　昼でも暗い森の中。そこは、夜になると一寸先も見えなくなる。そんな暗黒 の世界を、私はラヴァを引き連れながら瑠奈に付き添うように昼間通った道を 歩き続ける。でも、歩き始めてすぐに、瑠奈の足が止まった。 「美夕、お気をつけて」 　私の背後で、ラヴァが手刀を構えた。私も身構え、辺りの様子に伺う。 「いるね。一人……ううん、二人かな？」 　ごく僅かに感じる。殺気を含んだ気配を放つ者が、私達の周りにいる。瑠奈 もそれを感じ取ったのか銃を構えると、辺りの暗闇を注視し始めた。徐々に、 空気が張りつめていく。 　そして、それからすぐに、ほんの僅かな空気の流れが起こったのを感じた私 は、身構えて臨戦対戦を取る。それと同時に「パン」という銃声と「キン」と いう金属の触れあうような音が聞こえた。 「美夕！」 　ラヴァが叫ぶよりも早く、私は身を翻し反射的に炎を放つ動作をしていた。 でも、当然のように炎は現れず、真横に薙ぎ払った私の腕は虚しく空を切り、 その時に生じた一瞬の隙をついて、黒い影が私の間合いへと飛び込んできた。 「ラヴァ！」 　相手の勢いに気圧された私は、思わず目を閉じて叫んでいた。すると、「パ ン」という音の後に、私は抱きかかえられて宙を舞うのが判った。 　辺りに静寂が訪れ、恐る恐る目を開けると、目の前には黒い影が横たわって いた。使い魔と思われるそれは、既に事切れているのか、ぴくりとも動かず、 その様子を瑠奈は見下ろすように見つめていた。 「美夕、お怪我は」 「うん、大丈夫」 　ラヴァに抱かれていた体を起こし、そっと瑠奈に側に歩み寄る。ふと道の先 を見てみると、もう一人使い魔が倒れているのが見えた。 　でも次の瞬間、その姿が砂の山が崩れるように消えていき、足下に横たわっ ている使い魔も同じように消えていく。そして、後に残されたのは銀色に輝く 弾丸だけだった。 「ありがとう、って言った方がいいかな？」 　私がそう言うと瑠奈は笑みを浮かべ、踵を返して再び歩き出した。私も、そ の後に続くように歩き出す。 　暗闇の道を歩く私達。会話はない。あるのは、静寂と張りつめた空気だけ。 ただ、そんな雰囲気の中、私は瑠奈の背中を見ながら、あることを考えていた。 　瑠奈の持つ銃には、銀の弾丸が込められている。古より、魔性の者を倒すと 伝えられる銀は、西洋では一般的な魔よけの一つ。瑠奈は、この時の為にそん なものまで準備していた。 　かつて、日本に来た西洋神魔。そして、その娘である瑠奈。本来なら、親子 の再会ということになるのに、今の瑠奈からは憎い相手を殺しに行くという雰 囲気しか感じられなかった。 　自分の父親と出会って瑠奈は何をするつもりなのだろう。そう疑問を思いつ つも、私はそれを口にすることはしなかった。言葉で聞くより、瑠奈がどうす るかこの目で見てみたいから。 　やがて私達は、あの祠の場所に辿り着いた。既に私達の周りは、数多くの使 い魔達によって囲まれているのが判る。殺気立っている気配だけが、びりびり と伝わってきて一瞬たりとも気が抜けない状況だった。 　そんな中、瑠奈は祠の、ぼろぼろになった小さな扉に手をかけ、そっと開く。 すると中には、小さな鏡が奉られるように置いてあった。 「ごめん、美夕。ちょっと見てくれるかな？　私、こういうの弱いから……」 　そう言って瑠奈は私にその場を譲ると、銃を構えて私を守るように辺りの様 子をうかがった。 　そして、私は瑠奈とラヴァに守られながら、祠の中にある鏡を見つめる。古 い鏡で、表面は汚れているけれども、おそらく汚れを拭い取れば、綺麗なまま だろうと思った。 　私は、更にその鏡を見つめる。いくら見ても普通の鏡にしか見えなかったか らだ。そして、しばらく見つめたあと、ようやくごく僅かにだけれども、神魔 の気配を感じ取ることが出来た。でも、それはとても弱々しく、今にでも消え 去ってしまうかもしれないほど小さな気配だった。 「うん。これだね」 　私はそう言って再びその場を譲ると、瑠奈はその鏡を睨み付け、そしてしば らくすると虚ろな目で見つめた。 　ざわざわと、周囲にいる使い魔達の気配が動いている中、瑠奈は長い間鏡を 見つめ続ける。そして、おもむろに銃を構えると、その銃口を鏡に向け、迷う ことなく引き金を引いた。 　「パン」という銃声と、一瞬遅れて鏡が粉々に砕け散る音が聞こえ、同時に 周囲に感じられた使い魔達の気配が一斉に消え去った。 　瑠奈は、銃を下ろすと一度ため息をつく。そして、再び銃を空に向けると引 き金を引いた。それも一度だけではなく、何度も何度も、弾倉の弾が無くなる まで、引き金を引き続ける。そして、その瞳には涙が光っていた。

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あれから、数ヶ月が経っていた。学園には何事も起こっていないのか、何処 にでもある平穏な毎日が繰り返されているようだった。でも、その中に私の姿 は無い。 　あの日、瑠奈が鏡を砕いた数日後、私はこの学園を去った。ここにいる必要 も、理由も無くなったからだった。 　ただ、今日、この日だけはと思い、こうして戻ってきた。今日は高等部の卒 業式。校庭は寮生を迎えに来た父兄の車を停める駐車場と化し、校舎内の至る 所で記念写真を撮る袴姿の生徒の姿が見える。でも、既に式自体は終わってい るので、人や車の流れは全て学校の外に向けて動き始めていた。 　私は制服に身を包み、かつて生活をした寮の部屋に行き、その扉を開く。そ して、そこに彼女はいた。 「お久しぶり」 　袴姿の彼女は、突然の来訪に驚いた顔で私を出迎えた。 「やだ、美夕じゃない！　どうしたの？　まさか、戻ってくるなんて思わなか ったよぉ〜」 　すると私の手を取り、ぶんぶんと上下に振って喜んでいた。 「今日、卒業式だからね。おめでとう、先輩」 　私がそう言うと、瑠奈は満面の笑みを浮かべて「ありがとう」と言った。 「それで、この後はどうするの？」 「ん？　うん……」 　瑠奈は私の手を離すと、振り返って部屋の中を見渡した。既に、荷物の全て が整理されてしまっているので、がらんとしている部屋。その様子を見ながら、 瑠奈は何かを思うように立ちつくしながら言った。 「もちろん、ここから出るよ。もう、ここにいる理由も無いし。私自身も、こ の場所から卒業しなきゃいけないしね」 　そう言うと、瑠奈は部屋の窓を両手で開け放った。 「でも、そうすると、あなたと戦わなきゃいけなくなるのかな？」 「……どうかな？」 　瑠奈は、外を見つめたまま私の言葉を聞いていた。そして、おもむろに振り 向くと、窓枠に体を預けるようにしてよりかかり、笑顔を浮かべて答えた。 「私ね、この後、遠い場所に行こうと思うんだ。誰もいない、人も近づかない、 遠い遠い場所で、ひっそりと生きていこうと思ってるの」 　真っ直ぐに私を見つめてくる彼女の瞳。その黒と碧の瞳からは、何一つ嫌み が感じられない。 「次に出会ったとき。その時は、きっと戦うことになるだろうね」 　私は、笑みを浮かべながらそう答えた。すると、瑠奈は側に寄ってきて私を 抱きしめると、耳元に囁きかけてきた。 「ありがとう、美夕」 　そのあと、私達は一緒に写真を撮ったりしてながら学校を出ると、並んで歩 いて行った。そして、道が分かれている場所でお互いに向き合う。 「何で、私があんなことをしたか聞かないの？」 　瑠奈は最後にそう問いかけてきた。でも、私には何のことかが判らない。 「あんなことって？」 「……あの封印を、どうして粉々にしたかってこと」 　そのことか、と私は思い、軽くため息をついた。 「興味ないから」 　とりあえず、私はそう答えた。瑠奈が何故、あんな行動を取ったか、私は今 まで聞こうとはしなかった。興味が無いというのは本当だけれども、正直なと ころ、私には何となく理由が判っていたから。 　あの時、封印から感じた僅かな気配。それは、本当に弱々しく、この世界で 生きているのだとしたら、虫の息とでも形容すればいいくらいのものだった。 もし、封印を解いたとしても、長くは生きられない。それ程、弱々しいものだ った。 　それに、使い魔達の動き。あれは、明らかに変だった。自らの主の封印を、 守るわけでもなく、ただ見つめるだけ。まるで、そうすることが主の命である かのようだった。 「じゃあ、何も言わないね」 　瑠奈はそう言うと、再び笑顔を浮かべた。 「それじゃ、ばいばい」 「うん、ばいばい」 　私達はそう言い合うと、お互いに背を向けて歩き始めた。そのまま、振り返 ることなく、何処までも、何処までも。

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