心の友

春の暖かい日差しが降りそそぐ通学路を、多くの生徒達が学校に向けて歩い ている。一人で学校に行く者もいれば、何人かが一緒になって行くものもいる。 時折「おはよう」という明るい声が辺りに響いたりもしていた。 　そして、俺もその雑踏の中に学生鞄を肩から掛け、気だるそうに毎朝繰り返 される同じような風景を横目に、学校へ向けて歩いていく。 「亮君、おはよー」 　俺を呼ぶ元気な声が聞こえたので振り向くと、そこには同じクラスの女性徒 が何人か笑顔で佇んでいた。 「オース。今日も元気だな、お前ら……」 　俺はいつものようにそう答えた。ぶっきらぼうな感じなので、女性徒達の中 には怖く感じる者もいるらしいのだが、そんなことは気にしない。実際、こう やって毎日挨拶をする者もいるのだから。もっとも、せいぜい挨拶を交わすく らいで、会話のようなものはない。この時も俺は挨拶をしたあと、会話もせず に学校へ向けて歩き始めた。 　学校に着いて教室に入り、自分の席に座ると先に来ている他の男子生徒の一 人が俺に話しかけてくる。 「あ、亮。いいところに来た。知ってるか？　今日、転校生が来るんだってよ。 さっき先生に聞いたんだ」 「へぇ〜。お前が、わざわざ辺りに言いふらしてるってことは……女だな？」 　お約束のような返答だ。転校生が来ると言って男が喜ぶとしたら、それは女 でしかないだろう。 「そう。女だよ。それも結構かわいいんだ。さっき職員室でちょっと見たんだ けどさ……」 「お前、何でそんなこと知ってるんだよ。朝っぱらから呼び出しでもくらった のか？」 　遅刻はしないまでも、俺はいつもぎりぎりに学校に来る。今のところ、朝か ら職員室に出入りするようなことは過去の一度もない。だからか、俺にとって 朝から職員室に行くようなやつは呼び出しを受けたやつという考え方しかない のだ。 「馬鹿言うな。部活のことで顧問の先生の所行っただけだよ」 　なるほどと思ったとき、始業のチャイムが鳴ったのでそれぞれ自分の席に座 り始める。俺も自分の席に座った。 『人間ってやつは、つまらないことで騒ぐものだな』 　ふと、俺の頭の中にそんな言葉が響いた。それは、俺の中にいるあいつの言 葉。 「くだらないことに関心するもんじゃないぜ」 　語りかけてきた声に対し、周りに聞こえないような小声でそう答えた時、担 任の先生が一人の女性徒を連れて教室に入ってきた。でもその瞬間、俺の視線 はその女生徒に釘付けになる。 　まるで抜けるような白い肌。頭の上で、丸く結い上げた特徴的な髪型。そし て、それをとめる赤いリボン。 　朝の挨拶が始まっても、俺はその女生徒から目を逸らすことが出来ない。先 生がその女性徒のことを紹介しはじめていたようだったが、その声も耳に入ら なかった。 「山野美夕です」 　彼女が自己紹介をした瞬間、やっと俺は我に返った。やや高く響く声に、ク ラスのあちらこちらからコソコソと話し声が聞こえている。男子も女子も、美 夕に対しての印象をお互いに話し合っているという感じだった。 　やがて、クラス一人一人が、それぞれ美夕に自己紹介をしていく。真面目に 自己紹介をするやつもいれば、中には冗談交じりで喋るやつもいる。もっとも、 冗談を言うのは男子だけで、女子は全員、真面目に自己紹介をしていた。 　やがて、自己紹介が俺のところまで廻ってきたので席を立ったのだが、俺は しばらく何も喋ることが出来なかった。 「おい、栗原。栗原！」 　担任がそう呼びかけるが、俺は無視した。そして食い入るように美夕の顔を 見つめ続ける。美夕も、そんな俺の姿をじっと見つめていた。 　後ろの席のやつが背中を小突いたので俺はようやく我に返り、自己紹介を始 める。もっとも、自分でも何を言っているか覚えていないほど、俺は舞い上が ってしまっていた。

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休み時間になって、美夕の周りにはクラスの女性徒達が屯していた。転校生 に興味を抱いて話しかけるものが殆どだったが、美夕は一人一人に笑顔で答え ていた。 　俺は机に肘をつき、手の平の上にあごを乗せるようにして、そんな光景をぼ んやりと見つめていた。やがてチャイムが鳴り、授業が始まったが、俺は美夕 のことが気になり、時折横目でその姿を見つめていた。 　その時、その視線に気がついた美夕と目が合ったので、俺は思わず視線を逸 らしてしまう。 ――かわいいな、あの娘…… 　そう思うと、俺はまた美夕に視線を戻した。その横顔を見て、俺の鼓動が早 くなるのが判る。そう、何しろ美夕は俺の好みのタイプ。ど真ん中、高めの直 球、ストライクゾーンなのだ。 　白い肌に大きな瞳、栗毛色の髪。ちょっときつそうな感じがするが、そんな ところもまた魅力的だ 　結局、俺は午前中の授業はまるっきり頭に入らず、何かにつけては美夕の顔 を見つめていた。

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昼休みになって、俺は屋上のフェンスに両肘をついて空を見上げていた。一 人になりたいときに、よくこの場所を選ぶ。屋上は滅多の他の生徒が来ないの で、一人になるには都合がいいからだ。 　何故一人になりたかったのか、それは今の俺の状態が問題だったからだ。何 しろ、俺の脳裏には美夕の顔が浮かんでいる。あの笑顔。あの声。何気ない仕 草。とにかく美夕の存在と、その動きの一つ一つが、気になって仕方が無い。 「かわいいよな〜」 　我慢しようとしても、自然に笑みが浮かんでしまう。他人から見れば、きっ とかなりだらしない、それ以上に気味悪く思われてしまうくらいの笑みなので、 教室なんかにいたら何を言われるか判ったものではないからだ。 『亮。亮！』 　そんな状態の俺に、その声が聞こえた。 「何だよ、人が考え事してるときに……」 　美夕のことを考えていた途中で邪魔をされたので、俺は少々気に入らなかっ た。むっとした気分でフェンスから身を離し、自分の内側に語りかけるように うつむきながら答える。 『上気せるのはいいけど、お前あの女がどんな奴だか知ってるのか？』 「何だよ。お前知ってるのか、彼女のこと」 『お前、俺の感覚を感じ取ってないのか？　ちゃんと冷静な頭で考えてみろ』 「俺は冷静だよ」 　そう言って、俺は再びフェンスに両肘をついて笑みを浮かべた。 「あんな、俺好みのかわいい娘と会えただけでもすばらしいじゃないか。見て るだけでも満足出来ちゃうなんて、そうそう無いぜ」 「かわいいって、私のこと？」 　傍らでそんな相槌を打つ声が聞こえたので、俺は振り向いた。そしてその声 の主を見た後、「そうそう、君のこと」と言う。しかし次の瞬間、俺は固まっ てしまった。 「私って、あなた好みなんだ」 　目の前には美夕がいた。それも、手を伸ばせば触れることが出来るほどすぐ 側に。俺の思考は働かなくなり、しばらくは空いた口が塞がらなかった。それ と同時に、とてつもなく恥ずかしくなって、顔が熱くなるのが感じられた。 「ど、どうしてここに……何時からいたの？」 「うん、さっき来たところ」 「じゃ、じゃあ、ひょっとして全部……聞いてた？」 　ややうつむいて上目遣いに美夕を見つめながらそう言うと、美夕は一度瞬き をして軽く頷いた。顔が更に熱くなり耳まで広がっていくのが感じ取れる。き っと、今俺は顔中真っ赤なのだろう。美夕はそんな俺を見つめたまま、くすく すと笑っていた。 「あなたって、面白い人ね」 　その一言で、俺の頭から空気が抜けたみたいに感じられた。ぷしゅーとかい う音まで聞こえたんじゃないかと思うくらいに。 「も、もう聞いちゃったんなら、今更隠してもしょうがないよな。実は俺、一 目見て山野さんのことが……」 「……私のことが、何？」 　そう言うと、美夕は少し悪戯っぽい笑顔を浮かべて聞き返す。その様子が、 俺の胸の鼓動を更に早くさせた。 　言ってしまえば、すっきりする。早く言ってしまえ。俺頭の後ろで、誰かが そう言っているような気がする。でも、俺は女の子に告白なんて始めだった。 どちらかといえば、友達感覚でいる方が多かったからだ。 「す、好きになったんだ」 「ふーん、そうなんだ」 　その言葉を聞いて俺の頭から、再び空気が抜けた。それどころか、全身の力 まで抜けてしまったみたいな感じになり、もし許されるならその場に座り込ん でしまいたくなるような脱力感に襲われる。 　しかし、不思議と体は直立不動したままで、目は美夕の顔を見つめたままだ った。二、三度瞬きをした美夕の瞳が、金色に輝いている。とても綺麗だ。俺 はその瞳から目を逸らすことができなくなくなった。 　やがて美夕が側に寄って来て、俺の体に触れようと手を伸ばす。俺はそんな 美夕の行動を、思考出来なくなった頭で見つめたままだった。しかし次の瞬間、 バチっというまるで静電気が走ったかのような音と衝撃が巻き起こり、俺と美 夕はお互いに身を一歩引いた。それと同時に、俺はようやく我に返って今の出 来事を理解しようとつとめた。 　そう、今のは間違いない。あいつの仕業だ。 ――馬鹿野郎！　こんな時に邪魔するんじゃねえよ！ 　俺は心の中で思いっきり怒鳴った。すると、あいつも同じような口調で言い 返してくる。 『馬鹿はお前だ。少しは人の話しを聞け。この女は……』 「やっぱり、あなたの中にいるんだね」 　呟くようなその声を聞いて、俺は美夕の顔を見つめた。何かを考えるような 表情を浮かべながらも、その金色に輝く瞳で俺を見てるのが判る。 「何だって？」 　美夕は手を後ろ手に組んで、くすくすと笑った。俺がそんな美夕の顔をじっ くりと観察するように見つめると、舞い上がっていた心に落ち着きが戻ってく る。そして、その落ち着きと同時に俺のものとは違う、もう一つの感覚が溢れ 出した。 「……監視者」 　その言葉は、思わずついて出たという感じだった。それと同時に、頭の中に 声が響く。 『もう少し早く気がつけよ』 　頭の中で、やや皮肉めいた口調でそんな声がする。でも、今の俺にはその言 葉を聞き入れるほどの余裕はなかった。 「あなたの中に、神魔がいるんでしょう？」 　美夕がそう問いかけてきた。さっきまで、熱く感じた顔が次第に冷めてくる。 「じゃあ、本当に……君が？」 「そう、私は監視者。吸血姫美夕」 　そう答えた美夕を、俺は冷静になって見つめた。すると自然に笑みが浮かん でくる。 「そうか。そうなんだ」 　俺は美夕の側に歩み寄り、その顔を覗き込むように身を乗り出して、しげし げと見つめた。 「でも、かわいいのに変わりはないよな。たとえ、監視者でもさ」 　でも、美夕はそんな俺の言葉に興味がないのか、顔色一つ変えずに話を続け る。 「あなたは、神魔に取り憑かれてるのかな？」 「取り憑かれてるっていうのとは、ちょっと違うんだけどね。まあ、似たよう なものかな」 　何だか興ざめしてしまった俺は制服のポケットに手を突っ込み、背筋を伸ば して答えた。 「それより、監視者が来たって事は、ひょっとしてこいつを闇って場所に帰し にきたと思っていいのかな？」 「随分、詳しいのね」 　美夕は関心したようにそう答える。そりゃ、詳しいさ。俺の中にいるんだか らな。でも、そう思ったとき、午後の授業を知らせるチャイムが鳴り響いた。 「おっと、時間が無くなっちまったな。そうだ！　今日、時間あるかな？　出 来れば、どこかのんびりしたところで話しようぜ」 　俺は精一杯の笑顔を浮かべ、美夕の顔を覗き込むようにしてそう言った。で も、美夕は怪訝そうな表情を浮かべたので、俺は「な？」という言葉とともに 片目をつむってウインクをする。 　美夕はちょっと腰が引け気味に感じられたけど、しばらくすると「ええ」と 答えてくれたので俺は安堵した。 「そっか。じゃあ、授業が始まるから行こうぜ」 　そう言って俺は美夕の手を引いて、促すように歩き始める。ところがその瞬 間、強烈な気配を感じた俺は手を離して身を翻し、振り返って身構えた。そこ には、黒いマントに身を包み、顔を白い仮面で隠したやつが、美夕を守るよう にたたずんでいた。 「大丈夫よ、ラヴァ」 　美夕がそう呟くと、そいつは一度美夕の顔を見つめた後、掻き消すように消 えていく。どうやら、美夕を守っているやつだと察した俺は、うかつに美夕に 触れることはやめようと思い、屋上を後にした。

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午後の授業が終わり、みんな帰り支度を始める。同じように帰り支度を始め た美夕の周りに、数人の女性徒が屯していた。 「ねえ、山野さん。家何処なの？　よかったら一緒に帰らない？」 　そんな会話が聞き取れる中、俺は美夕と女性徒の間に割って入った。 「ごめんよ〜。悪いけど、山野さんは俺と一緒に帰るんだ」 　女性徒達は一斉に「え？」という表情を浮かべ、美夕でさえも驚きの表情を 浮かべていた。もちろん、俺はそんなことは気にしない。みんなの態度を尻目 に美夕の手を引いた。 「ちょ、ちょっと……」 　美夕は思わずそう声を出し、取られた手を振り解こうした。まさかこの状況 では、あいつも出てはこれないだろうと思ったりしたが、俺は一度手を離して 美夕の背後に廻り、その背中を押した。 「じゃあ、そういうことで……」 　手をひらひらと振りながらクラスのみんなに伝えるようにそう言うと、俺は 美夕の背中を押しながら教室を後にする。 「……何あれ？」 「……さあ？」 　背後から、そんな言葉が聞こえてきたけど。そんなことはお構いなしだった。

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「随分、強引なのね。あなたは……」 　雰囲気は、はっきり言って最悪だった。美夕が、少々気が立っているのが判 る。俺も、さすがにやりすぎたかと思ってその後ろをとぼとぼと着いていくの だが、美夕はさっきから言葉一つ交わそうとしない。 「さて、とりあえず、ゆっくり話せる場所に行こうよ」 　美夕の背中に向けてそう問いかけてみるけど返事はない。無視を決め込まれ てる。その後ろ姿を見るだけでも怒っているのが判るくらいだった。 「ごめん。気ぃ悪くしたかな？」 　とりあえず謝ってみよう。そう思って、俺は言ってみたが美夕からの返答は やはり無かった。まだ許してはくれないらしい。 　今度は横に並んでみる。そして話かけようとした瞬間、美夕は立ち止まり、 振り返って俺を睨み付けた。その睨み付け方は、正直言って怖いくらいだ。や がて、美夕はプイとそっぽを向いて一人足早にその場を去ろうとする。 「あ、ちょっと待ってくれよ美夕」 　そんな美夕のあとに俺も続いた。 「おい、美夕ってば……」 「気安く、人の名前を呼ばないでくれる」 　やっと答えてくれたけど、その言葉にはやはり怒気が含まれていた。すると 美夕は歩調を早めたので、俺も歩調を合わせながら後ろからめげることなく話 しかけた。 「悪かったって。ちょっとやりすぎたよ。ごめん……」 　駄目だ。全然、聞く耳を持ってくれていない。ちょっと慣れ慣れしすぎたの か。俺は反省しつつ、美夕の後ろ姿を見つめて歩き続けた。 　しかし、しばらくすると、俺の意識は一瞬失われた。それは、あいつが俺と 入れ替わるときのサインみたいなものだった。 「私に会いにきたんじゃないのか？」 　俺の口から、俺の意志とは違う言葉が漏れた。その言葉を聞いた美夕は振り 向いた。その顔には驚きの表情が浮かんでいるのが判る。 「はじめまして」 　あいつが、またそう言った。どうやらここは、あいつに任せた方がいいみた いだ。そう思った俺は、あいつに全てを委ねることにして、今目の前で起こっ ていることを見つめ続けることにした。

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私達は近くにある公園のベンチに腰を下ろしていた。夕暮れが近いのか、辺 りは徐々に暗くなり始め、公園で遊ぶ子供達も一人、また一人と減っていくの が見て取れた。 「すまなかった。あの馬鹿が、失礼なことばかりして。怖いもの知らずとでも 言えばいいのかな。見てるこっちはハラハラして仕方なかったよ」 　私が落ち着き払った声でそう言うと、監視者・美夕は呟くように問いかけて くる。 「あなたが、彼の中に巣食ってる神魔ね？」 「ああ、私の名は真（しん）。でも、巣食ってるっていうのはちょっと心外だ な」 　そう言うと俺は、両手をズボンのポケットに突っ込み、ベンチの背もたれに 寄りかかるようにして空を見上げた。 「巣食ってるわけじゃないなら、一体どういうことかな？」 　私はすぐには答えなかった。何しろ、目の前にいるのは監視者だ。はぐれ神 魔の私からすれば、警戒するのも当然のこと。しかし、そんな私の思いを知っ てか知らずか、あいつがしゃしゃり出てくる。 「実は、こいつさぁ……」 　その言葉が口から漏れ出たとき、私は慌てて両手で口を塞ぐ。そして、しば らくして落ち着いたのを見計らって静かに口を開いた。 「すまない。一つの体を共有してるもので」 「共有？」 「ああ、私と亮は――」 　その時、またあいつが邪魔してくるのが判ったので必死になってその行動を 押さえ込む。そんな行動が美夕には不審に思えたのか、怪訝そうな目で見つめ ていた。 「す、すまない。こいつが邪魔するんで、外に出るよ」 　ようやく出た声でそう言うと、私は目を閉じた。そして、亮の体からゆっく りと外の世界へと姿を現す。 「おい、いいのか、外に出ても？」 　ベンチに座っている亮の口から、そんな言葉が投げかけられた。 「邪魔してるのはお前だろう？」 　やや苛ついた口調で亮にそう言うと、私は美夕の前に立ち、その姿を見つめ る。 「あなたが、真ね」 　その美夕の問いかけに軽く頷いて答えた。美夕は、そんな私の姿をじっくり と見つめる。 「ふうん。魂だけの存在って言えばいいのかな？　体はどうしたの？」 　的確な指摘だった。さすが監視者と言うべきだろう。しかし、私が美夕の問 いかけに答えようとしたとき、亮が口をはさんできた。 「神魔と戦って、負けたんだよ」 　美夕は横目で亮の姿を一瞥したあと視線を戻す。どうやら、本当に嫌われて しまったみたいだと思いつつ、私は静かに答えた。 「亮の言うとおりだよ。以前、この街でちょっとしたいざこざを起こしてね。 そして負けたんだ。体が粉々に砕かれて、死んだと思ったんだが――」 「その時、偶然通りかかった俺に取り憑いて、一命を取り留めたってわけさ」 　また亮が口をはさんだ。美夕は気分を害したように、再び亮を睨みつける。 「亮の言うことは本当だ」 　仕方ないので、私は助け船を出してやった。宿主が、これ以上嫌われるのも 見てはいられないから。 「私も、あの時は死んだと思った。だけど、生きていた。不思議と魂だけが体 からはじき出されていたんだ。そのままでいれば、おそらく消滅していたんだ ろうが、今言った通り、偶然そこに亮が通りかかって……」 「そして、彼に取り憑いたのね」 　美夕がそう呟く。すると今度は亮が答えた。 「取り憑いたって言うより、同化したって感じだっけ。なあ、真？」 　そう言って同意を求めてくる。私は軽く頷いて答えた。 「あの時、亮の他にも何人か人間はいた。だけど、魂だけの存在になった私に、 誰一人として気がつかなかった。ところが、亮だけは気がついて話しかけてき たんだ」 「俺は驚いたぜ。道端にうつむいてたたずんでるオバケがいるんだからな」 　亮が苦笑交じりにそう呟いた。その様子を見て、私も何となく可笑しくなり 笑みを浮かべて亮を見つめた。 「私だって驚いたさ。まさか、気がつく人間がいるとは思わなかったから」 　そう言うと、私はゆっくりと美夕に視線を戻す。 「波長が合ったとでも言えばいいんだろう。見てのとおり、背格好も私と亮は 似通ってるし、いざ同化してみると実に住み心地もいい。このまま取って代わ りたいものだ」 「取って代られるわけにはいかないな。だって、せっかく美夕とも会えたんだ しさ。もしお前が、俺に取って代わったら美夕に消されちゃうぜ。それでもい いのか？」 　私は苦笑した。こいつは何処までが本気で、何処からが冗談なのか判ったも のじゃない。そう思っていると亮は立ち上がり、私と肩を組むように腕を回し てきた。しかし、魂だけの存在であるがゆえに、その腕は当然空を切る。 「ま、お前がそうしたいんなら、好きにすればいいさ」 　亮はそう言ったあと笑みを浮かべる。すると、私もそれにつられるように笑 みを浮かべた。 　その後、私達は自分達のことを美夕に聞かせた。同化した経緯や、その後の 生活のこと。二つの意識が一つの体を共有することの弊害でとにかく苦労が絶 えなかったこと。 　時折、亮が惚けた発言をするので、その都度会話が途切れたりしたが、美夕 はその全てを理解してくれていたようだった。 　やがて、すっかり日が暮れてしまったので、私達は話を途中で切り上げた。 私が亮の体の中に入り込むと、美夕は関心したように問いかけてくる。 「神魔なんかと一緒になるのに、怖さとかは無かったの？」 　その言葉は亮に向けて発していたようなので、私は口出しをせずに亮と変わ った。表に出た亮が、あの馴れ馴れしい口調で美夕に答える。 「ん？　別に。さっき、あいつが言ってたけど、俺達は波長が合うんだよ。そ りゃあ、始めは抵抗がなかったかといえば嘘になるけど、今では同化してよか ったと本当に思ってる。あいつの持っている神魔としての自信みたいなものが、 俺に影響を与えてくれるのさ。そのせいか、俺は何をやるにしても自信が持て た。今のところ、悪い影響っていうのは出てないさ」 　美夕は笑みを浮かべていた。先ほどまでの怒った様子は、微塵も感じられな い。すっかり亮のペースに持ち込まれたようだった。

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次の日から俺と美夕は、何となく一緒にいるようになった。と言っても、俺 が美夕に対して、一方的に付きまとうと言った方がいいかもしれない。先日の、 あまりにも馴れ馴れしい態度のことがあり、美夕は俺に対してあまりいい感情 を抱いていなかったようだから。 　もっとも、これは俺の性分だから仕方ない。俺は誰に対してもこういう態度 で接する。いわば、これは俺のポリシーみたいのものだ。簡単に変えることな んて出来やしない。 　しかし、だからといって普通の人がいきなりそんなことを納得してくれるは ずもない。人とは違うとはいえ、美夕も普段は普通の女の子なので、気分を害 することも多々あった。すすると、タイミング良く真が外に出てきてフォロー をしてくれる。どうも、俺の言葉より、あいつの言葉の方が信じられるみたい だ。 　俺は少々悲しい気もしたが、とりあえず真には感謝をしておくことにする。 でも、俺達の恋路の邪魔はしないでくれと時々思ってみたりもしていた。

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夜の闇に包み込まれた公園で、私は目の前に転がっている死体を見つめてい る。首筋には大きな傷が出来ており、そこから残っている血液が流れ出てコン クリートの地面に赤い血溜まりを作っていた。 　もし、人がこの様子を見れば殺人事件とか言って大騒ぎになるのだろう。し かし、私には判る。これは人の手によるものではない。 「亮？」 　その声は、私が気配を感じたのと同時に辺りに響いた。静かに振り返ると、 闇の中に溶け込むようにして美夕がたたずんでいる。その背後には、先日学校 の屋上で亮の前に現れた、長身の神魔が控えていた。 「やあ、美夕」 　とりあえずそう答えてみた。すると美夕は亮ではないことを瞬時に理解した ようである。 「今は真だね。亮はどうしたの？」 「寝てるよ。もう真夜中だしね」 　そう言って私は再び目線を落とし、転がっている死体を見つめた。すると美 夕が傍らまで歩み寄ってきて、同じように目線を落とす。 「あなたが、やったの？」 　私は軽く頭を振って答えた。 「まさか。亮の中にある一つの意識にしかすぎない私が、こんなことをする理 由はないだろう？」 「……そうだね」 　その一言に私は驚き、振り向いて美夕の顔を見つめた。そして、何となく監 視者の存在というのを意識する。今、私が言った言葉の意味を理解してそう答 えたのなら、私のようなはぐれ神魔にとって監視者というのは本当に恐ろしい 存在なのかもしれない。 「死んでるの？」 　美夕は、そんな私の思いを感じていないかのように話を進めた。 「頚動脈に大きな穴が開いてる。その割には血の量が少ないから、おそらく吸 っていったんだろう」 「神魔だね」 　そう言って、私はもう一度死体を見つめた。すると、その様子を見た美夕が 呟く。 「どうしたの？」 　私はすぐには答えなかった。まるで、考えていることを見透かされたような 感じがしたから。しかし、しばらく何も答えないと、美夕は私が予想していた とおりの言葉を呟いた。 「こんな夜中に、わざわざこんなところに来るなんて、何か理由があるんじゃ ない？」 　私は何となく可笑しくなり、鼻で笑うと静かに呟く。 「この死体にまとわりつく気配。以前、感じたことがあるんだ」 「気配？」 「ああ。かつて、私の体を砕いたあいつの気配とよく似てる。やつは、この辺 りを何ヶ月かに一度通っていくんだ。もっとも、私は負けてから一度も出会っ たことはないけどね」 「その神魔の仕業だってこと？」 「可能性の問題だよ」 　そう言って、私は美夕を見つめた。 「ところで、美夕。あなたは、この神魔を追ってきたんじゃないか？」 　突然の質問だったが、美夕は顔色一つ変えなかった。 「それは、考えすぎよ。もっとも、この辺りにはぐれ神魔がいるっていうのを 感じて、この街に来たのは確かだけど。その神魔が、あなただと知ってちょっ と拍子抜けしてたんだけどね」 「それは残念だったな。いくら監視者といえど、もう死んでいる神魔には手も 足も出ないだろう？」 　そう言った時、暗闇の中を数人の人間が歩いてくる気配を感じ取った。どう やら若者のようである。しばらくして、その若者達が倒れている人の姿を見つ けて騒ぎ出すのだが、私達はいつのまにかその場所からやや離れた場所に移動 して、その様子を見つめていた。 「ああやって、死ねれば楽だったかもしれない」 　遠巻きに騒ぎを見つめながら、私はそう言った。つい、本音が口をついて出 てしまったようだ。 「でも、そんな遠い未来じゃないでしょう？」 　私は振り返って美夕を見つめた。金色の瞳が、私を見つめているのが判る。 全てを見透かしているようなその眼差しは、次第に恐怖心となって私の心を満 たし始めた。 「さすがだな。そんなことまで、判るなんて……」 「そうでもないよ。ちょっと考えれば判ることじゃない？　それに、あなたは 自分で言ったでしょう？　今、自分は亮の中にある一つの意識にすぎないって ……」 　私は苦笑しながら再び目線を騒ぎの方向へと戻した。 「でも、こうして人間として生きるのも面白いものだよ。以前は人の命や血を 奪って生きてきた神魔が、普通の人間と生きる。そうすることによって、それ まで感じられないことが見えてきて、思いもよらない発見があったりして」 　私はそこで一度ため息をつき、目線を落として呟く。 「この体を取って代るなんて言ったけど、所詮は無理なこと。私の意識が、い つまでこいつの中で存在していられるかも判らない。いつの日か、私の意識は 亮の中に埋もれて消える。でも、限りある命だからこそ、人間はより輝くこと が出来る。私は亮と同化したことにより、そんなことを学びとったんだ」 「あなたは、もう人間だね」 　何時訪れるかもしれない死の恐怖。殺されるなら、ひと思いに殺って欲しか ったのだが、その思いは叶うことはなかった。しかし、美夕の言葉によって私 は何となく救われた気持ちになった。 「そうだな。普通、神魔はこんなこと考えもつかないだろう」 　私は、そう相づちをうったあと黙り込んだ。そして、しばらく考え込んだあ と美夕を見つめて呟く。 「ところで美夕。あなたは、亮のことどう思ってる？」 　突然のその言葉に、美夕は「え？」という表情で私を見つめた。今の私にと って、亮という存在は一心同体。亮の思いは私の思い。私の思いは亮の思いだ。 「今更驚くこともないだろう？　面と向かって告白されたわけだし。何しろ、 あいつときたら、寝ても覚めても美夕美夕美夕って、うるさくてしょうがない んだ。完全に、あなたの魅力にやられちゃったみたいでね。それにしても、監 視者相手に恋心なんて、大物だなこいつも……」 　しかし、美夕は怪訝そうに私を見つめているだけだった。監視者は人間の中 に紛れて生きている。きっと、今まで亮のように慕ってくる人間がいたのだろ うが、そいつらがどうなったかまでは考えなかった。考える必要もないだろう から。 「まあ、どうせ無駄なことになるとは思うけど、それまでは仲良くしてやって くれ。少々、強引なところがあるけど、根は本当にいいやつだからさ……」 　一応、精一杯のフォローのつもりだった。美夕は相変わらず黙り込んだまま だったが、少しはあいつへの誤解が解けたんじゃないかと思う。

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この日は、朝から眠かった。どうやら昨日の夜、真のやつが外出したらしく、 朝起きても体が疲れたままで、まともに動かなかった。 　話を聞けば、美夕と会っていたとのこと。何で俺を起こさなかったかと聞い ても、答えてはくれなかった。まさか、俺に隠れて何かしてるんじゃないだろ うかと、くだらない想像もしてみるが、その思いも眠さには勝てなかった。 　結局、俺は眠さをこらえながら学校の授業を受け続けていた。だが、美夕へ のアプローチは忘れてはいない。相変わらず無視されることが多かったが、そ れでも二言三言話をしてくれるので、俺は何となく嬉しかった。 　やがて昼休みになり、屋上で横になって寝ていた俺の元に美夕が来た。俺の 眠気は一気に吹っ飛び、起きあがって美夕を迎えたのだが、やはり疲れた体は 思ったように動いてはくれなかった。 「なあ、美夕。昨日の夜、あいつと何してたんだ？」 　無粋な質問と思ったが、気になるものは気になる。あいつは、その記憶を俺 によこさないのだから、余計に気になるのだ。 「昨日って……同じ体にいるのに判らないの？」 「ああ。俺、寝てたから。いくら何でも、寝てる間に何をしたかまでは判らな いさ。もっとも、時間が経てば自然にあいつの記憶は俺の記憶に組み込まれる みたいなんでけどね」 「ふうん。便利なのか、不便なのか、よくわからないね。それって……」 　そう言った美夕は、何か楽しそうに笑みを浮かべていた。すると、俺もそれ につられて笑みを浮かべる。しかし、こんな感じだった午後の昼下がりの、の どかな一時は次の瞬間、あっさりとぶち壊された。 　俺の背筋にぴりぴりとした感覚が走り、思わず身震いする。そのあと、俺は すぐにフェンスの側まで駆け寄って眼下に広がる街並みへと目を向けた。 「今は、真なの？」 　気がつくと、美夕も俺の側にいて神妙な面もちで問いかけていた。 「いや、亮だよ。それより、今のは……神魔の気配だよな？」 「ふうん。あなたにも、そんなことが判るんだ」 　美夕は関心したかのようにそう呟いた。 「俺達は一つなんだ。ごくわずかだけど、俺はあいつの力を引き継いだ。これ は、おそらくあいつの中にある神魔としての感覚だろう。それが、神魔の気配 を察知した」 　その時、俺の頭の中で真の声が響いた。 「すまない、真が外に出たがってるんで変わるよ。今は、あいつの方がいいだ ろう」 　言い終わると俺は目を閉じた。一瞬、気が遠くなり、自分とは違うもう一つ の意識が表面に現れるのが判る。やがて目が見開かれると、真は辺りを確認す るように見回し、街の方へと視線を向けた。 「この気配、やつの気配だ」 「やつって、ひょっとしてあなたの体を壊した？」 「ああ、あいつだ。あいつ、やっぱりこの街に戻ってきてるんだ」 　すると真は振り向いて走り出そうとした。 ――馬鹿野郎！ 　俺は、真の心に向けてそう叫んだ。すると、その声が聞こえたのか、真は立 ち止まる。 ――無茶するんじゃない！　今のお前は、俺だってことを忘れるな！ 　その言葉を聞き入れたのか、真は再び美夕の側に戻る。 「どうしたの？」 「亮に止められた。無茶はするなって」 「そうね。魂だけになった神魔が、戦えるはずないものね」 　さすがに、美夕は判っているようだった。真は何も答えなかったが、屋上の 手すりに添えた手を力強く握っていたので、あきらかに悔しがっているようだ った。

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夜。俺は自分の部屋のベッドに横になっていたが、なかなか眠ることが出来 なかった。何故なら、背筋を這うようなぴりぴりとした感覚が一層強くなった からだった。夜になると、神魔はその力を増すという。実際、過去に何度かこ ういうことはあった。しかし、今回ほどその力が気になることはなかった。 「真、行きたいか？」 　ベッドの中でそう呟いてみたが返事はない。仕方がない。俺はそう思うと起 きあがって、服を着替える。そして、夜の街へと出ていった。 　外に出ると、俺は思ったままの方向へと歩き出す。 「出てこいよ」 　だけど、真は相変わらず何も答えない。せっかく、こうして出てきたやった って言うのに。ひょっとしたら眠っているのかもと考えたが、真が起きている ような気がしていた俺は、そのまましばらく思うがままに街中を歩いていった。 　そして、気がつくと俺は公園にいた。辺りは暗く、公園内の電灯だけが僅か に地面を照らしている程度だった。 『ここにいる』 　そんな声が、頭の中に響いた。俺はその声の意味を理解し、辺りを警戒しな がら歩き始める。しばらくすると、電灯に照らし出されてたたずむ一人の少女 の姿が目に入った。 「あれは、美夕？」 　白い着物と赤い帯を着た少女。遠目には誰だか判らないが、特徴的な髪型と 赤いリボンで俺はそれが美夕だということを感じ取っていた。 　そのまま、彼女の側に歩み寄っていく。すると、少女は俺の気配に気がつい たのか、ゆっくりと振り向いた。 「やっぱり、美夕だ」 　思い人とこんな場所で会えるなんて、ついてると思いつつも、俺の心は普段 のような浮かれた気分にはならなかった。それは辺りに漂う、異様な雰囲気の せいだと思う。 「真？　ううん、亮かな？」 　美夕が俺を見てそう呟いた。その刹那、俺は背後に何者かの気配を感じ、と っさに振り向いて身構える。するとそこには、学校の屋上で出会ったあいつが 姿を現したところだった。 「ラヴァ、どうだった？」 　美夕が後ろでそう呟くと、その神魔は俺の横を素通りして美夕の側に歩み寄 った。 「申し訳ありません。逃げられました」 　そいつはそう言い終わると、美夕の体を包み込むように抱きしめた。それば かりか、美夕も体を預けて甘えるような仕草をしている。 　俺の美夕がこんなやつと、という一方的で訳の分からない感情が俺の心を満 たしたとき、一瞬の隙をついたように真が俺と入れ替わったのが判った。 「神魔に逃げられたのか？」 「うん。意外と強い力を持ってたから。逃げ足も早かったしね。でも、次は逃 がさない」 　真と俺が入れ替わったことを知らないのだろうが、美夕は素直にそう答えて クスクスと笑った。それは、昼間学校で見せる姿とはまるで違って、背筋が冷 たくなるような思いを感じさせる。この時、俺は今更ながら美夕が人ではない ことを再認識した。

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次の日。学校が終わり、家に帰った俺は日が暮れる前に昨日の公園へと向か った。ひょっとしたら、あの神魔が現れるかもしれないかと思ったからだ。 『もし戦いになれば、命の保証はないぞ』 　真の心配そうな声が頭の中に響く。 「そんなこと言ってるけど、お前だってこうしたいんだろう？」 　俺は、真の心情を察してそう答えた。俺達が共有する感情。俺の感情は真の ものであり、真の感情は俺のものだ。あの神魔が現れるとき、俺の背筋に走る ピリピリとした感覚。それによって、途端に体が落ち着きをなくす。これが、 真の感情であることは俺だけが判ることだ。 『無茶をするなと言ったのは、お前だろう。それなのに何故？』 　確かに、真の言うとおりだった。 「そうだな。だけど、今こうしないと一生後悔するような気がしてな」 　すると、しばらく沈黙した真は力強い声で答える。 『何かあったら、私に代われよ』 「ああ、そうするよ」 　やがて俺は公園に着くと、ベンチに腰を下ろして日が暮れるのを待った。徐 々に、日が傾き始めると、それに従って俺の感覚が研ぎ澄まされてくる。背筋 を走るピリピリとした感覚が、更に強くなっていった。 　どれくらい時間が経っただろうか。辺りが、すっかり暗くなった頃に真が言 った。 『来たぞ』 　俺は落としていた目線を上げ、辺りを見回す。それと同時に、全身の感覚を 意識的に研ぎ澄ました。 　いる。確かに何かがいる。だけど、俺の目には見ることが出来ない。その時、 ふと俺の脳裏にその神魔の姿が思い浮かんだ。それは真の記憶。その姿は、実 体を持たない影のような存在。 ――影！ 　そのことが脳裏に閃いた瞬間、俺は座っていた体を咄嗟に捻り、転がるよう に地面へと倒れ込む。すると僅かに遅れてベンチが、今まで俺が座っていた部 分から真っ二つになり、大きな音を辺りに響かせた。 『大丈夫か、亮？』 「ああ。それにしても、冗談じゃないぜ！」 　今、神魔は俺の目の前にいる。その姿は、闇に溶け込み思うように見ること が出来ない。闇の中に赤く光る目だけが頼りだった。 「こいつの姿、ちゃんと思い出しておけばよかったよ。あとちょっと遅れてた ら――」 『来るぞ！』 　俺の言葉を遮る真の声。俺は咄嗟に身を翻し、その神魔の攻撃を避けた。お そらく、普通の人間からはとても考えられないような早さで。それは俺と同化 した真の、神魔としての力なのだろう。 『亮！　代わるぞ！』 「ああ、頼む！」 　俺は真と入れ替わり、その様子を眺めることにした。 「久しぶりだな。覚えているか、私のことを」 　真は落ち着いた口調で、神魔にそう告げた。しかし、神魔はその言葉を理解 していないようで、再び俺達に向かってきた。 　真はその動きをよく見て、一歩前に踏み込み、拳をたたき込む。すると、そ の拳が神魔の体に触れる瞬間に強烈な衝撃がほとばしり、神魔の体を後方へと 吹っ飛ばした。 ――すげぇじゃねぇか真！ 　俺は、喜びの声を上げた。その後、神魔は性懲りもなく何度も俺達に向かっ てきたが、俺達に触れることも出来ず、何度も叩きのめされていた。 「駄目だ、勝てない」 　何度目かの攻防のあと、真がそう呟く。 ――何だよ、そりゃ。圧倒的に優勢じゃないか。 　俺は、納得できないというふうに聞き返す。 「この程度の力じゃ、あいつを倒すことなんて出来ないんだよ」 　確かに、神魔は何度となく真の攻撃を受けているが、その都度立ち上がって 向かってくる。まるで、ダメージが無いように。 ――やばいか？ 「ああ、このままでは――」 　真が言い終わらないうちに、神魔の放った一撃が俺達を襲った。まるで、今 までは手を抜いていたと言わんばかりに、何か大きな固まりがぶつかってきた ような衝撃が俺達の体を突き抜け、地面を十数メートルばかり飛ばされる。そ して、生えている木に背中からぶつかってようやく止まった。 「痛えな、クソ！」 　そう言って俺は身を起こし、自分の手の平を見た。 「あれ、今……俺か？」 　俺の意志で手足が動くのが判る。今のショックで、再び入れ替わったようだ った。 「おいおい、冗談じゃないぜ！」 　そう言って立ち上がろうとしたが、思うように足腰が立たない。さっきの衝 撃が、よほど応えたんだろう。 　見ると、あの神魔の赤い目が俺達の方に近づいてくる。地面を這うように逃 げようとするが、思うように体が動かない。 　やがて、神魔が俺の前で立ち止った。動けない俺を見ているようだ。しかし 次の瞬間、俺の体から光の固まりが飛び出したかと思うと、目の前の神魔に襲 いかかった。 「真！」 　それは、真だった。魂のままの真が神魔の体を抑えている。 「亮、逃げろ！」 「馬鹿野郎！　そんな力の使い方をしたら、お前が……」 「いいから、早く！」 　真は必死の形相だった。しかし、俺が何とか体を動かそうともがいているう ちにはじき飛ばされてしまった。 「真！」 　俺がそう叫んだとき、神魔の一撃が俺に振り下ろされるのが見えた。その一 瞬、周りの世界が止まっているように見える。振り下ろされた神魔の一撃が、 俺の体を襲い、そして俺の体は粉々になる。そう思った。 　その時、俺の視界にもう一つの影が見えた。その影は、俺と神魔の間に割り 込むと、神魔の一撃を受け止める。鈍い音が聞こえ、神魔の動きが止まったの が判った。 「お前……」 　その影は、美夕の側にいたラヴァとかいうやつだった。そいつは、俺の見て いる前で手刀を繰り出し、神魔を切り裂く。 「はぐれ神魔よ、闇へ！」 　動きが完全に止まったあと、その言葉が辺りに響いて目の前にいた神魔が炎 に包まれた。見ると、燃え上がっている神魔の背後に美夕の姿が見え隠れして いた。 「美夕」 　その姿を呆然と見つめているうちに、炎は小さくなって消え去っていった。 あとには何も残らず、ただ暗闇の中に美夕が一人たたずんでいるだけだった。 　しばらくして、俺は真のことを思い出す。辺りを見回すと、少し離れた場所 にうずくまっているのが見えたので、必死になって立ち上がり、真の元に駆け 寄る。 「おい、真。真！」 　でも、真は何も答えられないような感じで、苦しそうな表情を浮かべたまま だった。 「実体化出来るなんて、知らなかったけど？」 　いつのまにか美夕が俺達の傍らに来て、そう語りかけてきたが、そんなこと に構っていられなかった。 「早く戻れ。ほら！」 　俺のその言葉を聞いて、真はまるで宙に漂うみたいに俺の体の中に消えてい く。そして、完全に体の中に入ったのを見て俺の気が抜けたのか、体のあちこ ちに痛みが走ってきた。 「助かったよ、美夕」 　俺はその場にへたり込むと、見上げるようにして美夕を見つめ、体の痛みに 我慢しながらそう言った。でも美夕は、金色に輝く瞳を俺に向けたまま、無表 情のままたたずんでいる。 「あなたは知っていたの？　彼が、実体化出来るのを？」 　そう問いかけてくる美夕の表情に変化はなかったが、その視線からは例えよ うもない威圧感を感じる。 「知ってたさ。だけど、その力を使うとあいつは消えちまうんだ」 　俺は驚くほど素直に答えていた。 「ふぅん、そうなんだ。じゃあ、今彼は危険な状態なのかな？」 「ああ、そういうことになる」 　実際、俺は今、あいつを感じ取れないでいた。俺は普段、あいつが存在して いるということを、感覚的に感じ取ることが出来ていた。でも、今はそれがま ったく感じられない。 「もっとも、遅かれ早かれ、こんな時が来るとは思ってたけどな」 「知ってたんだ」 　美夕が関心したように言うので、俺はため息をついた。 「一年先か、二年先か。いや、ひょっとしたら、明日かもしれない。あいつが、 俺の意識の内に飲み込まれて消えていくのは。でも、そうなったらしょうがな いよな。もともと、住む世界が違うし、それにあいつはもう死んでるんだから」 　俺がそう言った後、その場に沈黙が訪れたが、しばらくすると、美夕はその 場を立ち去ろうとした。 「美夕……」 　俺の呼び止める声を聞いて、美夕は立ち止まる。だけど、振り向いてはくれ ない。 「もう、行っちまうのか？」 　俺は美夕の背中にその言葉を投げかけた。こんな時であっても、思い人への 感情が出てくるのは人間の情けない所だろうか。でも、美夕は何も答えなかっ た。 「監視者の役目は終わった。もう、ここにいる必要がない。だから、行っちま うんだろう？」 　だけど、美夕はやはり何も答えないで再び歩き始めた。その姿は、夜の闇の 中に溶け込むように消えていく。その様子を、俺は瞬き一つせず最後まで見つ めていた。

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昼休みに教室の中にいる連中は少なかったが、それでも廊下の方から男子や 女子の話し声が聞こえる。俺は自分の机に座り、頬杖をついて、少し離れた場 所にある誰も座っていない机をぼんやりと見つめていた。 　既に数日経っていた。美夕は、あの次の日から姿を消した。正確に言うと、 美夕という少女の存在自体が無かったことになっている。クラスの誰一人も、 美夕のことを覚えていないし、美夕がそこにいたという痕跡すら跡形もなく消 えていた。でも、俺だけは覚えている。美夕が、確かにこのクラスにいたこと を。 ――確かに、あの席に座ってたんだよな。 　監視者としての役目を終えたので、この街を去っていった。それは、判って いた。しかし、いざいなくなってみると、何となく寂しい感じがしていた。そ れが、俺自身の気持ちの問題から来るものであることも判っていた。 『失恋だな、亮』 　ふと、そんな言葉が頭の中に響く。俺は思わず笑みを浮かべた。 「生きてやがったか……」 　周りに聞こえないように口の中で静かにそう呟くと、俺は静かに席を立った。 そして屋上へと上がると、以前のように両肘をフェンスについて校庭を眺める ふりをした。 「随分、出てくるのに手間取ったな」 『やっぱり、無茶な力は使うもんじゃないな。意識は目覚めてたんだが、お前 に話しかけることが出来なかったんだよ』 「そうか、無理させちまったな」 　真が、そこまで消耗するほどの力。それによって、俺は命を取り留めた。だ から、真には感謝しなければならない。もっとも、俺があいつの思いを感じ取 って、あの神魔と対峙できるようにしたのだから、むしろ感謝されるのは俺で はないかと思った。 『それより、美夕は行ったようだな』 　そんな俺の思いを、真は気にしていないようだった。 「ああ、皆から記憶を消してね。さよならの挨拶くらいしてくれたってよかっ たのにさ」 『人間じゃないのに、そんなに気に入ったのか』 「人間じゃないやつとの付き合いは慣れてるからな」 　やや皮肉をこめてそう言うと、真の言葉は一瞬途切れた。だが、しばらくす ると再び俺の頭の中に声が響く。 『本当に大物だよ。お前は……』 　真の言葉を受けて、俺は笑みを浮かべた。それと同時に、午後の始業のチャ イムが鳴り響く。 「俺の中に消えるまで、もうしばらくは宜しくな」 『こちらこそ……』

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俺の中にいる友達 　俺の中にいる親友 　いつ来るか判らない別れが 　俺達を引き離すまで 　俺達は共に生きていく

あとがき