暖かいようでいて肌寒い風が、とある学校の校庭を舞っている。そんな風の 中に、一人の少女がたたずんで、校舎を見つめていた。 「この気配、覚えがあるな」
少女が独り言のようにそう呟くと同時に、その背後に黒いマントに身を包ん 「ねえ、ラヴァも覚えてるでしょう。あの時、逃がした神魔のこと」 「今、ここにはいないようです。しかし、潜り込んでいることは確かでしょう」
ラヴァと呼ばれた人物が、そう言うと少女はクスクスと笑いだした。その声 |
☆ ☆ ☆
赤い炎が襲いかかってくる。俺は何とかそれをかわすと、必死になってその 場から逃げだした。その姿はあまりにも情けなかったが、構ってなどいられな い。とにかく逃げなければという思いだけが俺を動かしていた。でも、恐怖で すくんだ体は思うように動かず、足ももつれてまともに走ることも出来ない。 その間にも監視者の炎が、何度も何度も襲いかかってくる。やがて、その炎の 一つが目の前まで迫ってきて、俺はもう駄目だと思った。 「お兄ちゃん!」 その声と共に、体を揺すられて目を覚ました。 「大丈夫、お兄ちゃん」 「悠佳……」
目の前には、心配そうな顔で覗き込む悠佳がいた。だが、目が覚めたばかり 「凄くうなされてたんだよ。怖い夢でも見たの?」
夢。そうか、夢だったんだ。でも、今のは夢であっても夢ではない。あれは、 「凄い汗だよ」
悠佳は、心底心配してくれているのか、未だに心配そうな表情を浮かべなが
すると、悠佳は嬉しそうに微笑み返してくる。そんな悠佳の微笑みを見てい
今俺達は、一つのベッドの中で体を寄せ合って横になっていた。そして悠佳
それはいつものことだったけれど、そうでないことを祈りつつ悠佳が被って 「やだもう。見ないでよ、お兄ちゃんのエッチ」 「あ、ああ、ごめん」
俺は反射的に謝っていたが、途端に自己嫌悪に襲われる。今、僅かに見えた 「また、やっちまったか」
呟くようにそう言ったあと、俺は目線を壁の方に向けてため息をつく。一つ 「お兄ちゃん、私の裸見たいの?」
そんな俺の心情を知ってか知らずか、悠佳はそう言うと、体をもそもそと動 「おい、やめろって」
仕方なく、拒絶するような態度を取るが、悠佳は意に返さない。俺の首に腕 「いいじゃない。今更、恥ずかしがることもないでしょ?」
今、布団をめくろうとして恥ずかしがったのは誰なのかと思ったが、そんな 「ねえ、お兄ちゃん。もう一回する?」 耳元に、そっと囁きかける言葉。それは、妹という女からの誘惑。 「慰めてあげようか?」
驚いて振り向いた俺の目に映ったのは、さっきまでと違い、男を誘うような 「ば、馬鹿。何を言って――」
そう言いかけた時、俺の唇は悠佳の唇で塞がれた。あまりに突然のことなの
やがて数秒もすると俺の意識は次第に遠のいていく。悠佳に唇を奪われると、
俺が抵抗しなくなると、悠佳は唇を離した。すると、俺の意思を無視するよ
きっと、次に目覚めるのは夜が明けてからだろうが、そこで俺はまた自己嫌 意識がなくなる最後の瞬間、耳に届いたのは悠佳の艶めかしい喘ぎ声だった。 |
☆ ☆ ☆
カーテンの隙間から差し込む、朝の明るい日差しを受けて俺は目を覚ました。 寝ぼけた頭のまま辺りを見回すとすでに悠佳の姿はない。階下から朝食を作る 音が聞こえてくるので、先に起きて食事を作ってるのだとすぐに判った。何故 なら、この家に住んでいるのは、俺と悠佳の二人だけだから。
ここで本来なら自己嫌悪に陥る所なのだが、時計を見るといつもならもう起
居間に行くといい匂いが漂っている。台所には、俺と同じ学校の女子用ブレ 「おはよう、お兄ちゃん」 「ああ、おはよう」
悠佳は毎朝、屈託のない笑顔と元気な声で俺を迎えてくれる。それは夜、ベ 「もう、元気ないなぁ。しゃきっとしてよ、しゃきっと!」
悠佳は片手に鍋をかき回していたお玉を持ち、腰に手を当てて、俺に言い聞 「でも、しょうがないか。昨日は二回もしちゃったしね」
そう言った悠佳に俺はちらりと視線を送った後、ため息をついた。毎度のこ 「はい、お兄ちゃん」
悠佳がみそ汁を入れたお椀を置き、俺の前に食卓を挟んで座ると、お互いに
毎朝、悠佳が必ず作ってくれる朝食。味のうまさなんて、今ひとつ判らない 「悠佳。あの手紙の返事、どうするんだ?」
食事をしながら、そんなことを聞いてみる。すると悠佳は、口の中にものを
「別に……返事なんてしないよ。だって、殆どが女の子からじゃない。私にど
そりゃそうだ。女からの告白を受けて、うれしがる女はいないだろう。まあ、 「それにね……」 悠佳はそう言うと、口の中のものを飲み込んで、真っ直ぐ俺の目を見た。 「私の思いを独り占め出来るのは、お兄ちゃんだけだから」 俺は一瞬の沈黙のあと、鼻で笑った。すると、悠佳もクスクスと笑い出す。 「ほら、くだらないこと言ってないで、早く喰って学校行くぞ」
とりあえず、作り笑いを浮かべてそう言った。すると、悠佳は「うん」と答
ただ、そんな姿を見ているとき、視線の中に悠佳の首筋にある、まだかすか |
☆ ☆ ☆
「おい、悠佳。そろそろだぞ」
そう言って振り返り、俺よりも背が高い悠佳を見上げながら腕を動かした。
毎朝、繰り返される光景。それは家を出て、学校への通学の際に、家から大 「おい、そろそろ腕が痺れてきたんだけどな」
悠佳の身長は百七十五センチ前後で、俺は百六十五センチ前後。実質十セン
それに、これははっきり言ってかなり恥ずかしい。他人には、仲のいい兄と
だから俺は、何度もやめろと言っているけど、悠佳はどうしてもと言って聞
やがて、しばらく行くと大通りに差し掛かる。そこは他の生徒達が大勢通る、 「あ〜あ、着いちゃった」 悠佳は残念そうな声を上げ、やっと俺を解放する。 「ほら、行って来いよ、悠佳先輩」
痺れた腕を振りながら、からかうような口調でそう言うと悠佳は不満そうに 「悠佳先輩、おはようございまーす」 右手からそう声をかけられると、悠佳は笑顔で「おはよう」と答える。 「悠佳先輩、おはようございます」
左手からそう声をかけられると、悠佳は振り返って同じように笑顔で「おは
それは、いつもの光景だった。とにかく、悠佳は下級生から人気がある。何
そもそも人気の秘密は、時々助っ人として入る運動部の大会などだった。も
そんな下級生達には、悠佳に俺という兄貴がいるというのは秘密だった。秘
そんな悠佳達の姿を、いつものように後ろから見つめている時、俺は背後か 「おはようございます、先輩」
俺はその姿を見た瞬間、まるで蛇に睨まれた蛙のように体が硬直して動かな 「それとも、お久しぶりって言った方がいいかな? はぐれ神魔さん」
自分の顔から、血の気が引いていくのが判る。それと同時に、俺の記憶にあ 「そんなところに立ち止まってると邪魔になるよ」
彼女は、そう言ってクスっと笑う。俺は体を動かそうと必死になり、何とか
俺は踵を返し、学校へ向けて走り出す。その間、ただの一度も振り返ること
しばらくすると、そんな俺の耳にクスクスという含み笑いが聞こえ始める。 |
☆ ☆ ☆
夕方になり下校時刻は過ぎていたのだが、俺は家に帰るのを少しためらって いた。朝出会った女生徒のことが、頭から離れなかったからだ。
あれは、確かに監視者だった。しかも、「お久しぶり」と言った。以前、無
あの時の恐怖が、俺の心を包み込む。だから今日一日、出来るだけ一人にな
おかげで、何とか昼間は気を紛らわすことができたし、監視者に会うことも
帰り道の何処かで、待ち伏せしているのは目に見えている。だからといって、
でも、教室の中にはもう殆ど生徒は残っていない。廊下を歩く連中も少なく
昇降口には、帰ろうとする生徒達が何人かいた。さすがにピークは過ぎてい |
☆ ☆ ☆
「やっとお帰りなの、神魔さん」
事態は最悪だった。昇降口から一歩足を踏み出したまではよかったが、校門 もう逃げられない。そう思うと、俺の体から一気に力が抜けていく。 「ねえ、私のこと覚えてる?」
その問いかけに、俺はどう答えていいか判らなかった。かつての恐怖が、徐 「……美……夕」
震えた声でそう言うと、俺はうつむいた。すると、美夕は笑みを浮かべなが 「覚えてたんだ」
背後の塀に気を取られているうちに、美夕は目の前まで来ていた。俺は、も 「あの時は、逃げられちゃったんだよね」
俺より背の低い美夕が、見上げるように見つめている。その瞳は金色に輝い 「随分、怯えてるんだね。昔みたいに、威勢良く戦いを挑んでこないの?」
俺の脳裏に、かつての記憶が蘇った。監視者ごときに負けはしないと意気が
「でも、安心なさい。今ここで、どうにかしようって訳じゃないから。ね、立
そう言って笑顔を浮かべると、美夕の瞳から魔力の光が消えた。途端に気が
「でも、立花徹(たちばなとおる)なんて、人間っぽい名前を名乗って、学校
俺は、その美夕の問いかけにどう答えて良いか判らなかった。そもそも、俺
そんな戸惑いの中、「お兄ちゃん」という、聞き覚えのある声がした。俺の
ところが、俺が声のした方を振り向こうとするよりも早く、そいつは俺の体 「あ、ごめ〜ん。お兄ちゃん、大丈夫〜」 「おっまえなぁ〜」
誰なのか見なくても判る。痛む頭を撫でながら片目を開けると、目の前には 「後ろに壁があるの、気がつかなかったの。ごめんなさ〜い」
そう言って両手を合わせ、甘えるような素振りで「ごめんなさい」のポーズ 「体当たりはないだろ、体当たりは〜!」
俺は、正直言って怒ってた。とにかく痛い。目に涙が浮かぶほどだったのだ
ともかく、俺よりも大きい体の奴が、俺に向かって思いっきり突進してきた
「だから、ごめんって言ってるじゃな〜い。男なんだから、細かいこと一々気
勝手だ。余りにも勝手な言い分だ。でも、しばらくすると俺は悠佳を許して 「お兄ちゃん、この娘だれ?」 悠佳が、俺と美夕との雰囲気を察知したかのようにそう聞いてくる。 「え、え〜っと彼女は……」
どう説明したらいいだろう。本当のことは言えるはずがないだろうし。だか そんなことを思っている俺を後目に、美夕は笑顔で悠佳に答えていた。 「こんにちは、立花先輩。私、山野美夕っていいます」 「あ、どうも、こんにちは」
美夕と悠佳は、お互いにそう言い合った。そして、悠佳の視線は再び俺に向 「あ、そうそう、彼女は美夕っていって……えーと……」
どもりながらだが、美夕の言葉に合わせるようにそう言った。だけど、その 「ねえ、ひょっとして、告白されてたの?」
一瞬、その場の時間が止まったような気がした。三人の間を、何とも言えな 「ねえねえ、どっちからの告白?」
悠佳は俺の腕を掴んで、興味津々という感じで聞いてくる。俺は、反論しよ
「でも、お兄ちゃんには女の子に告白するような度胸があるわけないから、き そう言って、悠佳は美夕の側に駆け寄って、覗き込むように見つめた。
「うん、かわいいじゃない。でも、こんなにかわいいのに、何でお兄ちゃんな 「おい、ちょっとまて。いいかげんにしろって」
ようやく俺は悠佳に声をかけることが出来た。すると悠佳は、「何よ〜」と、
「何照れてるのよぉ〜。お兄ちゃんに告白なんて、この先あるはず無いんだか
しししし、という笑い声が聞こえてきそうな笑みを浮かべて、肘で腹の辺り 「いった〜い、何すんのよ!」 「さっきのお返し。それと、人の話を聞かないからだよ」 悠佳は頬を思いっきり膨らませて、不満そうな顔をしたけど俺は無視した。
「えーと、彼女は美夕で、昔ちょっと話をしたことがあるんだよ。それ以外、
とりあえず他にどう言っていいか判らなかったし、本当のことを言う訳にも 「な〜んだ、つまらないのぉ〜」
何がつまらないのかよく判らないが、何とか静まったようだった。俺はほっ 「痣……」 呟くような美夕の声。その声に、俺はぎくりとした。 「首筋に、痣があるんですね」 「あ、ああ、これ?」
悠佳が、自分の首筋を指でなぞりながら答える。ごく僅かに、うっすらと残
「あのね、ちょっと前に、っていってももう一年くらい前になるけど、お兄ち 「悠佳!」 俺は悠佳の言葉を遮り、「帰るぞ」と言って、その場を去ろうと歩き出した。 「え、でもいいの。この娘は?」 「もう、用事は終わったんだよ」
そう言って俺は一度だけ美夕を見ると、踵を返して歩き始めた。だけど、す 「待ってよぉ〜、お兄ちゃ〜ん。じゃあ美夕さん、またねー」
ひらひらと手を振る悠佳。そんな悠佳の態度に、俺は頭が痛くなるような気 「さ、行こう、お兄ちゃん」
今度は、悠佳が俺の手を引いて歩き始める。俺を引き留めておいて、今度は
とにかく、色々とどたばたはあったが、俺は美夕と、監視者と再び出会って |
☆ ☆ ☆
昨日、美夕と出会ったことにより、俺はまもなく訪れるであろう運命を受け 入れられるのかどうかを考え始めていた。もっとも、受け入れようが受け入れ まいが、そんなことは関係ないのだろう。闇に帰される。それが、はぐれ神魔 の運命なのだから。
でも、俺がこんな思いに捕らわれているにも関わらず、すぐ側で脳天気に俺 「おい、悠佳。そろそろ離れろよ」
今、俺達はいつものように学校へと続く、朝の通学路を歩いている。既に大 「たまにはいいじゃない」
無邪気な笑顔だった。これは、はっきりいって珍しい。元々、人前で甘える
今、俺達二人の周りで多くの生徒達が好奇の目で見ていた。特に下級生達、 「ねえ、あの人誰かな? ひょっとして先輩の彼氏?」 「先輩って、ああいうのがタイプだったの?」 「何かひ弱そうだね」 「先輩が男の人何かとつきあうなんて」 「ひょっとして年下?」 「酷い、私の先輩を奪うなんて。今に見てなさい!」 「いつか天罰が下るのよ」
女生徒達が、ひそひそと話をしているのが聞こえる。会話の内容も、正直言
ところが、肝心の悠佳はまるで気にしていない。むしろ、いつもより機嫌が
そんなこんなで、この日俺は何とか無事に学校までたどり着いた。美夕に闇 |
☆ ☆ ☆
学校を終え、多くの生徒達が下校していく中、美夕は校門を出てすぐの塀を 背にして一人たたずんでいた。目的はもちろん、悠佳の兄として潜り込んでい る、あの神魔だった。昨日は挨拶程度で済ませておいたけど今日は違う。前は 逃げられたので、今回は絶対に闇に帰すつもりだった。
美夕の前を、何人もの生徒達が通り過ぎていく。まだ、あの神魔は現れない。 「どうしたの、こんな所で?」 そう言って話しかけてきたのは悠佳だった。 「こんにちは、立花先輩」 美夕が会釈をすると、悠佳も「こんにちは」と言って答えてくれた。
「で、どうしてここにいるの。誰かと待ち合わせ? あ、判った。お兄ちゃん 笑顔を浮かべながらそう言ってくる悠佳に、美夕は苦笑しながら答える。 「いえ、そういう訳じゃないですけど」 「ふ〜ん、そうなんだ」
そう答えると、悠佳は美夕の横に並んで経つと、同じように塀に寄りかかっ 「ねえ、美夕さん。あなた、お兄ちゃんのこと好きなんじゃない?」 突然、そんな質問をされて美夕は驚きの表情を浮かべた。
「だって、こんな所で待ってるなんて他に理由無いじゃない。昔からの知り合
待っていたということは間違っていないが、理由そのものが違うと美夕は思 「私は、昔からの知り合いですよ。きっと、先輩とお兄さんが出会う以前から」
美夕は少し意地悪く、悠佳の心を動揺させることを言った。すると美夕の思 「私と……出会う前? それって……」
驚きと困惑の表情を浮かべたまま、悠佳はそう問いかけたが、美夕はクスク
「それより先輩こそ、お兄さんのことが好きなんじゃないですか。今朝のこと、
話をはぐらかすように美夕が言うと悠佳は視線をそらし、頬を少しだけ赤く
「今まで、出来るだけばれないようにって振る舞ってたんだけど、もういいか 「そんなに、お兄さんのことが好きなんですか?」 「うん。だって、私の初めての人だし」 「え?」 「あ、うそ。ごめんなさい、今の忘れて!」 大慌てで訂正する悠佳の姿を見て、美夕は眉をひそめた。
「でもね、お兄ちゃんのこと好きなのは本当だよ。きっと、世界の誰よりも一
悠佳は、そこで一度口をつぐむと振り向いて美夕を見つめた。そして、「お
その時の悠佳は笑顔だったが、それは普段見せているものとは違い、どこと
嫉妬。それが、美夕が咄嗟に思ったことだった。ところが、悠佳はすぐに普
「だけど、ちょっと安心した。こうやってちょっとだけど話して、美夕さんが 「何で、判るんですか?」
「だって、美夕さんがお兄ちゃんのことを話す時って、あまり楽しそうじゃな
美夕は特に何も答えず、ただ無表情のまま悠佳を見つめていた。確かに、悠 「その痣、どうされたんですか?」 「え?」
話を逸らすように、美夕は悠佳の首筋にある痣のことを聞いた。昨日は聞け 「昨日、一年くらい前にどうのって言ってましたけど……」
「ああ、誰にも言っちゃ駄目だよ。実はさ、お兄ちゃんとちょっと遊んでてね、
どんな遊びをしていたか気にもなるが、それ以上に噛みつかれたことの方が
ちょうどその時、「お兄ちゃん」という声を上げて、悠佳が校門の方へ小走 |
☆ ☆ ☆
美夕と再会してから、数日が経っていた。俺は、あの日以来、毎日気が休ま る暇がなかったのだが、同時に少しおかしいと思い始めていた。何故なら、美 夕が俺に何もしてこないからだ。もっとも、姿を現わしてもうまい具合に悠佳 がしゃしゃり出てきて俺を連れて行ってしまうので、仕方ないといえば仕方な いだろう。
でも、それなら夜にでも家に来るのかと思っていたが、それもいままで一度
俺が苦しむのを見て楽しんでるのだろうかとも考えたが、まさか監視者がそ
それと、もう一つ気になることがあった。それは、美夕が現れて以来、悠佳
だけど、その反面、家に帰ると途端に大人しくなってしまう。二人きりでい
でも、これはこれでいいのかもしれない。もともと俺は、悠佳の兄として一 |
☆ ☆ ☆
閑静な住宅街の、とある家の屋根の上に、美夕は一人腰をかけて座っていた。 不機嫌そうな表情を浮かべ、目の前の、何の変哲もない一軒の家を見つめてい る。しかし、美夕の金色に輝く瞳には、人の目に映ることのない壁が映し出さ れていた。 その時、ふいに美夕の傍らにラヴァが姿を現す。 「やっぱり、駄目?」 「はい。どこにも隙がありません」 ラヴァの返答を聞くと、美夕はため息をついて表情を和らげた。
「でも、これほどの結界を毎日張り巡らせ続けるほどの力を持ってるなんて、
そう言いながら笑顔を浮かべると、美夕はクスクスと笑いはじめた。夜の闇
|
☆ ☆ ☆
この日も、俺は悠佳と一緒に学校に行く。俺と腕を組んで学校に行くという 悠佳の行動は相変わらずだったし、周りにいる下級生達の殺気立った雰囲気も 変わらなかった。 「今日も一緒だよ、先輩達」 「ねえ、あの人、先輩のお兄さんって本当?」 「背も小っちゃいし、変なお兄さん」 「でも、どうしてお兄さんが先輩と同じ学年にいるの?」 「お兄さんが早生まれで、先輩が遅生まれだってさ」 「血が繋がってても、先輩が男の人と何て!」 「私達の先輩を独り占めなんて酷い」 「まだ天罰が下らないのかしら」 「殺してやりたい」
恐ろしい会話だ。一体、どこで情報を仕入れてくるのやら。しかも、毎日こ
その時、ふと思うことがあった。そういえば、何で兄貴なんてやってるんだ
ましてや、俺と悠佳の姿を見てもそうだ。どう見たって、兄と妹というより、 「お兄ちゃん」 「ん?」 「信号、青」 「あ、ああ……」
考え事をしているうちに、いつの間にか学校の前まで来ていた。この信号を もうすぐ、俺は闇に帰される。この生活も、あと少しなのだろう。 |
☆ ☆ ☆
それは、授業中のことだった。人間が学ぶことなど、俺には関係ないので授 業は毎回上の空だし、この時もそうだった。いつものように、真面目に授業を 受けているふりだけをしていると、俺は視線を感じてベランダの方を振り向い た。
そこには、美夕がいた。冷たく、何一つ感情を感じられない眼差しだったけ 「呼び出して、ごめんなさい」
屋上に一歩足を踏み入れた途端、頭上から声がした。俺が振り返ると、そこ 「随分、遅かったな。もっと早く、闇に帰されると思ったんだが」 見上げながらそう言うと、美夕はクスクス笑って答えた。 「そうだね。でも、あんな結界があったら、さすがに私でも近づけないから」 「結界?」
一瞬、美夕が何を言ってるのか判らなかった。しかし、それを聞き返す間も
「ねえ、それよりも、ちょっと聞きたいことがあるの。あなた、悠佳に一体何
そう問いかけられた瞬間、俺の心に小さな痛みが走り、脳裏には悠佳に対し 「あなたに対しての愛情とか、普通じゃないからねあの娘」
美夕の言うとおりだ。悠佳の、俺に対する思いは普通じゃなかった。既に、
その時、ふいに疑問が浮かんだ。でも、じゃあ、どういうつもりだったんだ
今朝、確か似たような疑問を感じたはず。でも、こんなこと、今まで考えた 「どうしたの?」 頭上で美夕の声がして、俺は我に返った。 「いや、その通りだと思ってね」
とりあえず、あいまいな返答をしておいた。自分の中でも、何が何だか判ら
そして、ぽんという感じで俺の前に飛び降りると、上目遣いで俺の顔を見つ
「あの娘の両親、亡くなってるんですってね。ねえ、それってあなたの仕業じ
美夕の瞳が金色に輝きだしたのを見て、咄嗟に目線をそらした。そして、そ
「もう、一年くらい前のことだよ。本当は、悠佳も殺そうと思ったんだが、何 そう。今思えば、あの時も何故理性を失ったのか判らなかった。
「昔は、人間を殺すなんてしなかったのに、どういう風の吹き回しかな? そ
そう言ってクスクスと笑う美夕に、俺は何一つ反論することも出来ず、うつ だけど、そんな思いに捕らわれているとき、思いもよらないことが起こった。
たったったったという足音と「お兄ちゃ〜ん」という声と共に、悠佳が俺の 「美夕さん、どうしたの? ここは高等部の校舎なのに」 悠佳は、俺を抱きしめる腕に力を込めながらそう言った。
「こんにちは、悠佳先輩。ちょっとお兄さんに会いに来たんですけど、もう用
すると美夕は、踵を返して下への階段の入口の中に消えていった。辺りを見 「お兄ちゃん、駄目だよ。誰にも何も言わずに、何処かに行ったりしたらさ」 「あ、ああ、すまない」
タイミングよく現れ、いきなり説教する悠佳にとりあえず謝ったのだが、よ 「さ、お兄ちゃん。授業始まるよ、行こ」
このことでタイミングを外した俺は悠佳に何も言えず、促されるまま屋上を |
☆ ☆ ☆
赤と青の空間。そこに、生えている奇妙な形にねじ曲がった木の枝の上に、 美夕とラヴァは腰をかけていた。 「悠佳って、随分タイミングよく現れるよね」 そう言って美夕はクスクスと笑った。 「あの娘も、神魔になるのではと思っているのですか?」
ラヴァが、美夕の思惑を察したかのようにそう訪ねると、美夕は上目使いに
「彼は、そんな力を持ってるわけないから大丈夫でしょう。仮に、もし神魔に そう言うと、美夕は笑みを浮かべ、舌なめずりをした。 |
☆ ☆ ☆
道を行き交う人々が、すれ違う度に振り返る。男も女も、その好奇な視線を 俺達に注いでいた。 「なぁ、少し離れて歩かないか?」 「や〜だ」
悠佳は少し悪戯っぽく答えると、組んでいる腕をいっそう強く抱き締めてき
明るい色のシャツに、スラリと伸びた長い足を見せびらかすようなミニスカ
それが、どれくらいの美しさなのかは、すれ違うたびに振り返っていく人々
何しろ、今の俺は地味なシャツに、地味なズボン。そして地味な上着。しか
この日は日曜日。朝起きると、いきなり悠佳が買い物に付き合ってほしいと
しかも、買い物と言っても、特に何かを買うという訳でもなく、二人でいろ 「ねぇ、お兄ちゃん。私達って、周りの人にどんな風に見られてるのかな?」
他愛のない質問だったが、俺は答えなかった。というより、どう答えていい 「ねぇ、どう思う?」
悠佳は、どうしても答えてほしいというような感じで問い掛けてくる。仕方
しょうがない奴だと思ったが、とにかく今の悠佳は楽しそうだった。その笑
だけど、楽しい時間というのはあっという間に過ぎていった。気がつくと夜
でも、しばらくすると「わっ!」という声と共に、悠佳が背中に覆い被さっ 「お兄ちゃん、びっくりした?」 俺の肩にあごを乗せて、耳元でささやくように悠佳は言った。 「お前、どうしたんだよ、突然……」
でも、悠佳は何も答えず、クスクスと笑って前に回した手に力を込めて抱き 「ねぇ、お兄ちゃん」 しばらくの沈黙の後、悠佳が耳元で囁いた。 「私のこと、好き?」
突然の質問。俺は驚いて振り向いたが、何も答えることが出来なかった。そ 「ねぇ、答えて」
何故そんなことを今更と思ったが、悠佳は潤んだ真っ直ぐな瞳で俺を見てい 「……好きだよ」
途端に、悠佳の顔に笑みが浮かぶ。でも、その後俺は、「大切な妹だから」 「妹なんだよね、私。でも……」
そう言うと、悠佳はそっと薄目を開けた。そして、両手を俺の頬に添えると
ほんの僅かな沈黙が訪れ、振りほどかれた悠佳の両手は力無く俺の肩に置か 「ごめん、お兄ちゃん」
悠佳の声を聞いて、俺は驚いて視線を戻した。何故なら、その声は涙声だっ 「でも私、お兄ちゃんのこと好きだよ」
悠佳は、瞳いっぱいに涙を溢れさせていた。泣くのを必死でこらえているそ 「好きじゃなきゃ、あんな事なんて絶対にしないもん」
あんな事というのが、何を指しているのか判った。だけど、それと同時に俺
「でも、悪いのは私だよね。お兄ちゃんを誘惑して、その気にさせたりしたん 「そんなことは無い!」
突然、大きな声を出した俺に驚いたのか、悠佳は抱いていた腕を離した。そ 「あれは俺の責任だ! 俺が、ちゃんとしていれば!」
そう叫んだ時、脳裏にあの日の光景が浮かんだ。「二人だけの秘密だね」と 「やさしいね、お兄ちゃん。だから、好きだよ」
そう言って悠佳は涙を拭った。すると、その瞳にはいつも通りの元気な光が 「でもね、私ってほら、いい女でしょ?」
突然、悠佳は笑顔でそう言った。その変わり身の早さに俺がきょとんとして
「私ってさ、顔もそこそこでしょ? それにスタイルだって自信があるし。ち そう言うと、悠佳はぺろっと舌を出し、片目を瞑ってウインクをした。
「私、ちょっと心配してたんだ。ひょっとして、お兄ちゃんは女に興味が無い
随分と好き勝手なことを言ってるのだが、俺はあえて何も言わなかった。何 「それで、お前はいいのか?」 「ん? 何が?」 「自分の気持ちを抑えて、それでいいのかって言ってるんだよ」
俺は、悠佳の気持ちをくみとったつもりでそう言った。すると、悠佳の顔か
「いいの。だって、近親相姦だよ、私達のしてることって。いつまでも、こん
前向きな悠佳の答えに、俺は何も言えなかった。悠佳の言うことは、確かに 「悠佳、キスしてやろうか?」
俺がそう言うと、悠佳は当然のように驚いた顔をする。だけど、すぐに笑顔
この時、俺は思った。未練があるのは、俺の方だと。今まで、俺は確かに悠 |
☆ ☆ ☆
目が覚めたとき、目の前にあったいつもの光景。着ていた服は、床に無造作 に脱ぎ捨てられ、お互い裸のままベッドに横になっている。キスしたあとの記 憶はまるでない。だけど、その間に何があったのかは容易に想像は出来た。
今、悠佳はベッドの中で気持ちよさそうな寝息を立てている。そんな寝顔を 「ごめんな、悠佳。お前の両親を殺しちまって」
悠佳の頭をそっと撫でながら、俺は悠佳と初めて出会ったあの日のことを思
疲れ果て、身動きすらとれなくなり、力を得るために人を殺して魂を奪った。 「何でだろうな。何で、お前だけを……」
そう呟きながら、俺は悠佳に施した偽りの記憶を取り除き、新たな記憶を植
記憶の植え付けが終わると、俺は布団を悠佳にかけ直して、気づかれないよ
俺はもう、全てを終わりにする決心をしていた。美夕が来たこともあるし、
やがて、俺という存在の痕跡を全て消し去ると一息ついた。見慣れた家を去 その寂しさを振り切るように家を出ると、門の前に美夕が待ちかまえていた。 「やっと、出てきてくれた」
冷たく響く美夕の声。以前、恐怖したその声だが、今は何も感じない。勝て 「向こうに公園がある。そこで……」
不思議と落ち着いた声でそう言うと、俺は断頭台へと続く階段のごとき夜道 |
☆ ☆ ☆
公園。そこは少し前、俺がつま先立ちで悠佳にキスをした場所だった。でも、 今悠佳はいない。目の前にいるのは、監視者美夕と、その側にたたずむ黒いマ ントに身を包んだ神魔だけだった。
「よく、外に出てくる気になったね。今まで、あの中にいて一歩も出てこなか
あの中という言葉に、何となく違和感を覚えたが俺は気にせず話をすること 「もう、あきらめたんだ」
あきらめる。そう、俺はあきらめていた。もう逃げられないし、何よりも逃 「随分と潔くなったんだね。前よりも、力が強くなってるのに……」
前より? 俺は今、美夕が何を言ってるか判らなかった。だけど、そんな疑 「何で、何も答えないの?」 「そんな事よりも、早く闇に帰したらどうだ?」
投げやりな言葉だった。というより、こうして覚悟を決めたにも関わらず、
「そんなに、急ぐことないでしょ。まだ、あなたには聞きたいことがあるんだ
そう言うと美夕はクスクスと笑い、俺の側に歩み寄ってくる。一体、何をす 「お兄ちゃん」
一瞬、俺は自分の耳を疑った。何故なら、俺を兄と呼ぶような者は、もう存 「駄目だよ、お兄ちゃん。何も言わずに、一人で行くなんて」
言わずと知れた悠佳だった。いつものように笑顔を浮かべて、俺を抱きしめ 「悠佳、お前どうして……」
「だって、こんな時間に一人で外に出ていくんだもん。気になるじゃない。そ
その返答は、俺が知りたいこととはかけ離れていた。そんな俺の心情を知っ 「ねえ、もういいんじゃない? 悠佳に本当のことを教えてあげれば?」
美夕が、ため息混じりでそう言った。俺は仕方なく、悠佳の手をそっと握っ 「悠佳、お兄ちゃんっていうのは、もう終わりなんだ」
悠佳は、小首を傾げ、何を言っているか判らないという面持ちで見つめてく 「俺は、お前の本当の兄貴じゃないんだ」 「知ってるよ、そんなの」
その瞬間、悠佳の澄んだ声が公園内に大きく響き渡り、俺は驚きと戸惑いの
「全部、知ってるよ。お兄ちゃんが、本当のお兄ちゃんじゃないことも。お兄 「全てを知っていて、一緒にいたってこと?」
その美夕の問いかけに、悠佳は何も答えなかった。ただ、睨むように美夕を 「悠佳、いったい何時から……」
「そんなこと、どうだっていいじゃない。私は、お兄ちゃんのことが好きなん
俺は何て答えたらいいのか判らなくなった。全てを知っていた悠佳に、今更 「ねえ、お兄ちゃん。ひょっとして、美夕さんが原因なの?」
そう言うと、悠佳は美夕を睨み付けた。それは普段見せたこともない、まる 「そんなに、お兄さんのことが好きなの?」
美夕のその言葉が気に障ったのか、悠佳は美夕に挑みかかろうという素振り 「やめろ悠佳! お前は人間なんだ! これ以上、俺達に関わるんじゃない!」
俺は、これ以上悠佳を巻き込みたくなかった。だからこそ、必死になって止 「悠佳。あなた、ひょっとして神魔として目覚めたんじゃない?」
背後で美夕がそう言うと、悠佳の動きが止まった。俺が見上げると、悠佳は 「ちょ、ちょっと待て。俺に、そんな力なんか……」
「でも、神魔であるあなたでさえ止められない彼女は、普通の人とは違う気も
確かに、美夕の言うとおりだった。普段は、人として生活をするため、力を 「悠佳、お前……」
その時、俺の腹に強烈な衝撃が突き抜け、途端に息が出来なくなった。あま |
☆ ☆ ☆
その時、俺は自分の周りで何が起こったのか判らなかった。とにかく、苦し くて息も出来ない。必死になって呼吸をしようとするが、それもままならず、 ただ回復するのを待つだけだった。 「今の力、違うね」
美夕の声。その声は背後から聞こえず、正面から聞こえてきた。俺が、苦し 「あなた、人じゃないでしょう?」 「こんな腰抜けじゃなければ、騙し通せると思ったんだけどね」
何だ。何を言ってるんだ。俺は、今の二人の会話の意味を理解できなかった 「驚いたわね。まさか、あなたが神魔だったなんて」
美夕がそう呟く中、俺は混乱の極致にいた。姿は変わっていない。でも、今
「私も、ちょっと予想外だったよ。こいつがこんな腰抜けじゃなければ、正体 「それは、彼を利用していたってことかな?」
「そうだよ。私が自分の力を封印しておけば、監視者にばれないで済むと思っ
「そういうこと……考えたものね。それじゃ、あの家に張り巡らせていた結界
悠佳が神魔? 俺を利用? そんな、一体、どうして。俺には、まるで理解 「悠佳、お前、どうして……」
混乱している俺がそう言うと、悠佳は歩み寄って来て、俺を見下ろした。そ
自分の体が人形のように跳ね上がったのが判る。一瞬遅れて地面に叩きつけ 「や、やめろ〜」
必死の懇願だった。体中に走る痛みさえ忘れるくらいに。だけど、悠佳は止 「凄い変わり様だね。さっきまでの甘える姿は、どこにいっちゃったの?」
美夕がそう言った時、ようやくその力が弱まった。だけど、踏みつけている 「芝居は、上手いほうなんだ」
「芝居……ね。でも、種明かしをするにはちょっと早すぎたんじゃない? も
「どうかな? 私は監視者がそんなに鈍いとは思えないけど。まぁ、今更そん
芝居……種明かし……何だ……一体何を。そう思ったとき、悠佳は倒れこん 「…………邪魔だから、とっとと消えてよ」
一瞬、悠佳の言葉に間が空いたのを感じた後、周囲に強烈な突風が吹いた。
そして、強烈な衝撃とともに体が地面に叩きつけらると、俺は全ての意識を |
☆ ☆ ☆
どれくらいの時が経ったのだろうか。俺は急に意識を取り戻すと、自分が何 時の間にか路地裏を歩いていることに気がついた。だけど、体中は軋むように 痛み、呼吸は荒く、意識は朦朧として真っ直ぐ歩くことが出来ないので足下は ふらついていた。 「そうか……俺は、悠佳に飛ばされて……」
朦朧とした意識の中、不思議とそのことだけははっきりと判った。だけど体
このまま、死ぬかもしれない。そう思うほどの痛みが体中を駆けめぐる。そ 「悠佳……」
薄らいでいく意識の中、何故か悠佳の名前を呼んだ。脳裏には悠佳の笑顔が
体が傾き始める。何度も何度も。だけど、そのまま意識を失うと思った俺は、 「お兄ちゃん!」
その声が耳に届いた時、俺は目を開けた。そこには、心配そうな顔で覗き込 「お兄ちゃん。早く、ほら逃げなきゃ!」 そう言って悠佳は俺の腕を肩に掛け、支えるようにして立ち上がらせた。
「ごめんね。ちょっとやりすぎたみたい。でも、これぐらいしなきゃ欺けない
俺には、悠佳が何を言ってるのかが判らなかった。まだ意識は朦朧としてい 「……家に帰ろう」
やっとのことで口ずさんだ言葉。すると、悠佳は笑みを浮かべて「うん」と 「帰ろう。私達の家へ」
そう言って笑顔を浮かべた悠佳を見た途端、俺の意識は再び闇の中へと消え |
☆ ☆ ☆
冷たい。顔に、冷たい何かが触れている。何だろう。でも、何だか気持ちが いい。 「お兄ちゃん?」
耳元で悠佳の声が聞こえて、俺は目を開けた。見ると、悠佳は濡れたタオル 「ごめんね、お兄ちゃん。こんな酷い怪我をさせちゃって」
怪我……そうか、俺は確か悠佳にやられたんだ。その時、俺は先ほどまでの 「駄目だよ。もう少し楽にしてないと」
悠佳がそう呟いたが、俺はとりあえず上体だけを起こした。そして、もう一 俺は、振り向いて悠佳の顔を見つめた。 「悠佳。お前……神魔、だったんだ」
すると悠佳はややうつむいて、しばらく間を空けた後、俺の傍らに腰を下ろ 「ごめんなさい。騙すつもりはなかったの」
涙声でそう答え、悠佳は手で目をこすってから顔を上げた。その瞳には、ま 「ねえ、お兄ちゃん。私達が初めて会った日のこと覚えてる?」 「初めての会った日?」 「うん。もう、記憶は戻ってるはずだから、思い出せると思うけど」
記憶。記憶って一体、何を言ってるんだ? 俺と悠佳が初めて出会った日。
でも、そこまで思い出したとき、その記憶とは違う別の記憶が少しずつ滲む 「思い出した?」
悠佳がそう問い掛けてくる。だけど俺は、すぐには理解することが出来なか 「話、してみて」
俺は一度悠佳の顔を見つめたあと、目線を逸らした。そして、蘇った記憶を、
「あの時、この家の中に入った俺が見たのは、一人の神魔の姿だった。そして、
俺は、頭を抱えながら言葉を紡ぎだした。そう、この記憶は俺の記憶だ。間 「うん、そうだね。じゃあ、その先は私が話すね」
悠佳は混乱している俺を見ながらそう言うと、俺の手を取ってそっと自分の
「目の前に倒れこんで気絶しているやつに、その神魔はとどめを刺そうとした
植え付けられた記憶と聞いて、俺は思い出した。そういえば、俺は人に別の 「そうだったんだ。でも、じゃあ、どうして……そんな俺にあんな態度を……」
俺は不思議だった。確かに、俺は悠佳に負けた。そして、今では意のままに すると悠佳は、そっと身を寄せてきて答えた。
「初めの何日かは、妹は自分の思い通りにことが運んでいるのに満足していた
そして、一ヶ月も過ぎると、妹はすっかり兄に夢中だった。寝ても覚めても、
初めは名前を呼ばれるだけで満足していた。そのうち、側にいたい、側にい
人の言葉に、「恋は人を狂わせる」っていうのがあるらしいけど、本当にそ
悠佳はそこまで楽しそうに話し終えると一度息をつき、そして神妙な面もち 「でも、その後二つの誤算があった。そのうち一つはこれ」 そう言って、悠佳は首筋の痣を指差した。 「俺がやったんだよな」 俺がそう言うと、悠佳は苦笑して答える。
「うん。あまりにも嬉しくて、ちょっと油断したら私のコントロールを外れち 俺は、一度うつむいた。そして、そのまま呟くように答える。
「俺は、お前のことを大切な妹だって思ってたからな。別に、暗示をかけられ
「真面目だね。本当に、神魔だなんて思えないよ。でも、そういうところが私
悠佳はそう言った後、俺の首に腕を回して抱きついた。俺もそんな悠佳の体 「どうした?」
悠佳は何も答えない。ただ、肩を抑えて身を震わせているだけだった。俺は 「悠佳……」 俺が驚いた顔で見つめると、悠佳はシャツを下ろしながら答えた。
「逃げるときに、ちょっとね。心配しなくても大丈夫だよ。手当てはしたし。 「貧弱って言うなよ」 「だって、貧弱じゃない。一発食らわせただけで、へろへろになっちゃってさ」 「あれは、いきなりやられたからだろ。普段は、あんなんじゃないんだよ」
「嘘つかない方がいいよ。監視者との戦いの記憶。私知ってるんだからね。随
「うるさいな! しょうがないだろ! お前だって監視者と戦ったから、あの 「私は、お兄ちゃんみたいにへこへこした逃げ方はしなかったもんねぇ〜だ!」
そこまで言い終わると、俺達はお互いに睨みあい、すぐに笑顔を浮かべて笑 「でも、この生活ももうすぐ終わる。出てこいよ。いるんだろ、美夕」
俺がそう言うと、悠佳は驚きの表情を浮かべて振り返った。すると、リビン 「気が付いてたんだ」 「ああ。目が覚めて、すぐにね」 俺の言葉に、悠佳は驚きの表情を浮かべた。 「そんな、一体どうやって。ここには、結界が張って――」 「その結界、もう役に立ってないよ」
悠佳の言葉を遮るように、美夕がそう言った。ただ、俺にはその張られてい 「おい、結界って何だ?」
その時、張り詰めたその場の空気が一気に和んだ。美夕はクスクスと笑い出 「あなたって、本当に鈍いのね」
美夕はそう言ってまたクスクスと笑い出した。その様子を後目に、悠佳は立
「あのね、この家の周りにずっと張り巡らせてたのよ、結界が。私達以外に寄 「張り巡らせてって、一体誰が?」
「私に決まってるでしょう! 今、美夕が隠れてたことに気づいて、何でそれ
悠佳は、ちょっとイライラしたような口調でそう言ったので、俺はばつが悪 「そうか。だから今まで、美夕はここにこれなかったのか」
美夕は相変わらずクスクスと笑い続けている。悠佳はもう言葉もなかった。 「俺達は、闇に帰されるんだよな」
その言葉と共に美夕の顔から笑みが消え、悠佳も表情を曇らせた。そして、 「美夕。頼みがあるんだ」 そう言って俺は両手をついて頭を下げた。 「悠佳だけでも、見逃してくれないか」 「お兄ちゃん!」
悠佳が、俺の体に抱きついてきたのが判るが、俺は頭を下げたまま微動だに
「あなた達二人、変な神魔だね。片方は神魔と思えないような言動をとり、も
そう言った後、美夕が手の平を差し出すとその上に炎が揺らめきながら姿を
「でも、それは出来ない相談だね。はぐれ神魔を闇へ帰す。それが、私の役目。
その言葉を聞いた俺は、驚いて顔を上げたあと振り向く。すると、悠佳は俺 「確か、変死した生徒がいたっていう話を聞いたけど、まさかあれが……」
「そう。私も、初めはあなたの仕業だと思った。でも、おかしいなとも思った 美夕がそう言い終わると、悠佳は俺の服をきゅっと握りしめた。
「でも、今はやってない。私、お兄ちゃんと出会ってからそんなことしなくな 「だからといって、あなた達を見逃すわけにはいかないな。判るでしょう?」 「判らない!」
悠佳は突然、大きな声を出して立ち上がり、再び美夕に挑みかかろうとした。 「私、まだ負けた訳じゃないからね!」
そう言うと悠佳の周囲に、さっき公園で俺を吹き飛ばした時のように空気の 「おい、悠佳やめろ!」 「お兄ちゃんは黙っててよ!」
だけど、次の瞬間、悠佳の力は霧散していた。美夕が炎を放ち、それを咄嗟 「結界の力は、随分強力みたいね。でも、もう限界かな?」
炎を防いださいにはじき飛ばされ、しりもちをついていた悠佳に、美夕は関 「もういいよ、悠佳。お前だけでも逃げろ」 「……何言ってるのよ。そんなこと出来るわけ無いでしょう!」
こんな状況になってまでも、悠佳の気勢は削がれていない。最後の最後まで、
一年前、美夕と戦った時の記憶。あの頃、俺はまだ怖い物知らずで、監視者
その結果、戦うことにさえも恐怖を抱くようになって、こんなふうになって 「もう一度……もう一度だけ、せめて最後に……」
そう呟きながら、俺は自分の意識を奮い立たせ始めた。あの頃の、怖い物知 「お兄ちゃん?」
悠佳が、そんな気配を察知したのか、不安そうな目を向けてくる。だけど、 「もう一度だけ、もう一度だけ監視者と戦う!」 そう叫ぶと俺は立ち上がり、わき目もふらず美夕に挑みかかっていった。 |
☆ ☆ ☆
「お兄ちゃんの馬鹿」
胸に抱きしめられながら、俺は悠佳の声を聞いていた。お互いの体が焼かれ、
結局、戦いは戦いにもならなかった。元々、能力的にも監視者に勝てるはず
ごく僅かな、それこそ数秒という時間で俺は死を覚悟した。実際、ただ闇へ
だけど、俺が美夕の炎にやられる直前、悠佳が俺をかばうように目の前に飛
悠佳が、俺を守ろうとしたのが判る。俺は、また悠佳に守られたんだと思っ 「何も言わずに飛び出していっちゃ駄目だって言ったじゃない」 「……ごめん」
そう言うと俺は、悠佳の胸の中で静かに目を閉じた。そして、消えゆく最後 |
☆ ☆ ☆
朝日が昇ろうとしていた。辺りは次第に明るい光が溢れ出し、鳥の囀る声も 聞こえてくる。家の廻りに張り巡らされていた結界は、すでに消え去り、家の 風貌も二人が住んでいたときと違って廃屋と化していた。おそらく、これがこ の家の本当の姿なのだろう。所々に割れたガラスの破片が散らばり、外から差 し込む日の光に反射してキラキラと輝いていた。そんな家の中を、美夕は隅々 まで見回っていた。特に目につくものは無かったが、家具などは朽ち果てかけ てはいるものの、まだ原型をとどめている物が多かった。
「不思議な神魔だったね、あの二人。この家で出会って、一緒に暮らして、人
美夕は独り言なのか、それとも背後にたたずんでいるラヴァに向けてそう言 「人間みたいな暮らしか。何だか、懐かしいね」
そう言うと美夕は、縁側へと続く割れたガラス戸から外に出る。ラヴァは、
通学時間になり、通りには学生達の姿が溢れ出す。しかし、つい先日まで見
兄妹(完) |
終わったよぉ〜! という安堵感の中、息抜き中のYOROIでございます。 さて、今回もまたこんな物語を書いてしましました。 しかし、今回のは長い! 長過ぎ! 書いてる自分も、こんなに長くなるとは思ってなかったので、 大変でした。
さて、物語全般なんですが、終わってみれば神魔同士の恋愛物で、
そんな中でも一応テーマをいくつか盛り込んではいました。
次のテーマが、つま先立ちのキス。
テーマはだいたいこんなところです。
ただ、最近ちょっと気になることが。
さて、何だかあとがきもまとまりが無いので、 |