闇夜の雨　疎外−Entfremdung−番外

「聞こえる」 　私はそう呟いて、小雨の降る夜の世界へと身を躍らせた。脳裏には闇の中で 泣いている少女の姿が浮かび上がり、耳の奥にはその少女の泣き声が静かに響 いている。私は出来るだけ急いで夜の街を駆け抜けていった。 　ごく普通の家。私はその家に住む彼女の部屋へと静かに忍び込む。そして、 暗い部屋の中に置かれているベッドの上で、掛け布団にくるまってすすり泣い ている一人の少女を見つめた。瞳から流れ出る涙は枕を濡らし、少しずつシミ のように広がっていた。 「早紀」 　私が彼女の名前を呼ぶとすすり泣く声が止まり、閉じていた目を開いた。そ して、涙を浮かべたままの瞳で私の姿を見つめたあと、弱々しい声でそっと呟 く。 「香？」 　私は静かにベッドの上に腰を下ろし、横になっている早紀の頭をそっと撫で た。 「どうしたの、早紀？」 　相手が私だということに安堵したのか、早紀は笑みを浮べて頭を撫でている 私の手を両手で取って握りしめた。 「何をそんなに怖がってるの？」 　すると、早紀は握りしめていた私の手を自分の頬に添えた後、静かに答えた。 「……雨の音が聞こえるの」 「雨？」 「雨の音が響いて、それを聞いてるうちに何だか、凄く寂しくなって……」 　確かに外は雨が降っていた。でも、雨量はたいしたことはないし、小雨とい う表現すら大げさに感じる程度だった。私も耳を澄まして雨の音を聞いてみた が、大きな音はしない。ただ、屋根から雨どいを伝って落ちる雫の音だけは、 規則的に聞こえていた。 「もう大丈夫だよ。私が側にいるから」 「ありがとう、香」 　早紀がそう言うと私は早紀の側に横になり、その体をそっと抱き寄せようと した。 「あ、待って」 　突然、そう言った早紀の言葉に、私は早紀の体に触れていた手を止めた。 「どうしたの？」 「あのね……その……お願いがあるんだけど」 「何？」 「うん……本当の姿の方が、いいなって」 　そう言った早紀の目は、真剣そのものだった。 「夢に出てきてもしらないよ」 「ううん、平気。香なら私、大丈夫だから」 　そう言って笑みを浮かべた早紀につられて、私も笑みを浮かべた。私は体を 起こしてベッドの側に立って目を閉じた。すると、その姿は次第に異形の姿に 変わっていく。鋭く伸びた両手の爪。大きく耳まで裂け、鋭い牙が生え揃って いる口許。細く長い尾。でも、早紀はその様子を、まるで美しいものでも見て いるように見つめ続けていた。 　やがて、体の変異が完全に終わると目を開いて早紀を見つめた。私の目は暗 闇の中でも見え、猫の目のようにギラギラと光を発しているはず。それは、見 る者によっては例えようもない恐怖を感じるはずだけど、早紀の表情に変化は ない。それどころか、早紀はベッドから起き上がって私に抱きついた。 　私は自分の爪で傷つけないよう細心の注意を払いながら、その小さな体を抱 き締めた。すると早紀は、全てを委ねるように私の胸元に顔を埋める。細く長 い尾を早紀の体に２回、３回と巻き付け、その先端が手元にくると、早紀はそ れをきゅっと握りしめた。 「香の匂いがする」 　そう言うと早紀は目を閉じた。私はそんな早紀をそっとベッドに横たえ、自 分もその側に横になる。 「お休み」 　そう呟いてみたが、早紀はすでに軽い寝息をたてて眠っていた。その安らか な寝顔を見ながら、私は朝になるまで早紀を胸に抱いたままだった。 　 闇夜の雨　疎外−Entfremdung−番外（完−そして本編へ〜）

あとがき